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2006年10月31日 (火)

鏡の法則

「鏡の法則」といううすっぺらい本が昨日着いたので早速読んだ・・・帯にTVで話題、60万部突破だの、ジャガー横田の推薦文だのが載っていてアチャー失敗だったかもと思いつつ30分くらいでイッキ読みした・・・そしたら途中で泣いてしまった。

野口義則さんというコーチングをやっている人が書いた本で、五日市剛に通じるクサさというか、底の浅さは感じるが、ある人の実話に基づいて展開しているので、その事実に対して泣いてしまったのだ。

それは、41才の主婦の息子が学校でいじめられていて、とてもつらそうにしているのに母親の自分に心を打ち明けてくれない・・・力になってあげたいのに心を開いてくれずどうしようもない。そんな悩みを抱えているが、かといって夫に相談する気にもならない・・・なぜならば、夫は思慮も教養もないトラックの運転手で高卒、自分は大卒・・・

そんな折、夫がある人に相談したらという提案・・・普段なら聞く耳持たない妻だが、今回は相当追い詰められていて矢も盾もたまらず相談をする・・・それからアレヨアレヨという間に急展開、その人のガイドに沿って勇気を出して行動し、結果ハッピーエンドに至るという物語なのだが、

いったい何が起こったのか・・・それは息子のいじめ問題という出来事=鏡をとおして、母親の奥にある感情(本人も自覚できていない)に気づき、夫や自分の父親に対して接してきた態度、言動が原因となって息子の問題が結果として起きている・・・そこに気づいてから今までの自分を反省し、夫や父親に心から詫びを入れ、尊敬と感謝の気持ちを持つようになる・・・・夫も父親もいままでの押し隠してきたつらい思いが開放され、家族全員が幸せな関係に・・・・

どこで泣けたのかっていうと、父と娘、夫と妻の関係において身につまされるっていうか、自分も息子、娘との間が威張って言えるような状態ではない・・・険悪とかそういうわけでもないが、一歩奥に入っていけない。妻との関係もそうだがホントにしっくり打ち溶けてという状態にはほど遠い・・・そんななかで、この話のように娘から妻から「いままでゴメンなさい、ホントは尊敬もしてるし感謝もしている」なんて言われたら・・・ウワーっと泣かずにはおれんでしょう。

鏡の法則については、スピリチュアルにものごとを捉える人にとっては、常識といってもいいくらいなものだが、その法則にきづいてもらい、その人の考えを変え行動を変え、結果をいい方向に誘導していく・・・・この本に出てくる相談を引きうけた人=著者のその力に脱帽!

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2006年10月30日 (月)

化学物質過敏症

昨日、化学物質過敏症(CS)の講演会に行ってきた。

講師は吹角隆之(ふくずみたかゆき)さんというお医者さんでアレルギーが専門である。CSの発症のメカニズムなど、とおり一遍の説明があったのち、治癒力を高めるコツについて、

①病気のことを考えない・・・病気に意識を集中するとかえって体を傷つける。初めは短くてもいいので病気のことを忘れる、そのため例えば仕事でもなんでも自分を忙しくする。

②認知行動療法・・・自分のやりたいことを書き出す→実現可能な順番に並び変える→易しいものから無理しないでとにかくやってみる。

③自分の病気が治った状態をできるだけ具体的にイメージする・・・治る過程のスケジュールを立てる。目的地(治癒)に至る絵地図をつくる感覚で。治った情報だけを集める。

④自分の病気の経験をシェアする・・・経験を人の為に役立てる→同病者と交流する→ネットワークをつくる。

⑤感謝する・・・人間として生まれてきたことを感謝する(ゴキブリじゃなくて良かった)。ありがとう。すべてのことには意味がある。多くは自分で設定したもの(この病気も)

⑥生きる目的・・・心と体は密接に連動している。魂を磨く。霊性を高める。自分の仏を削り出す。見える世界と見えない世界がある、本当に大切なものは目には見えない、見えない世界に思いをいたす時に治癒の可能性が高まる。

以上が治癒力を高めるコツだが、読んで解るとおり現代医療の現場にいる先生とはちょっと違う印象を受けたはずだと思う・・・そう、この先生は仏教(真言密教)のお坊さんでもあるのだ。

最近、特に思う・・・心と体は一体のもの、体のみ診て対症療法的にしか治療しないやり方には限界があるし、根本的、長期的にはかえってマイナス。この先生のように説教も治療の一環として心のありようから変えていく(現場でもそうしているかはさだかではないが)、治療をホリスティックに捉えるといった先生のほうが信頼できるし、治る可能性が高いと感じる。

最後に、治癒というヤマを超えるには、

赦す、忘れる、捨てる、手放す、任せる、委ねる・・・心を軽くする

恨み、つらみ、妬み、憎しみ、嫌な人、怒り、悲しみ、愁い、不満、不安といった重たい感情は捨てることが大切と言われていた。

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2006年10月29日 (日)

禅の公案

なにがなにやらよく解らない禅問答だが、本来古則公案と呼ばれているものは、中国において編集された禅書を出典としており「碧厳録」や「無門関」などが代表的なものといわれている。他にも日本生まれの公案があるが、和製のものは「雑則」と呼んでいる。

どういうものがあるかなと思って、ちょっと調べてみると                                     1、「あなたの両親が生まれる前のあなたの本当の姿はなんであったか」                           1、「白隠禅師の隻手の音声・・・隻手=片手で手をたたいた時、どんな音がするか?両手両手でたたいたときこそ音がでるのに、片手の声とはなにか」                                             1、四十九曲がりの細山道を真っ直ぐに通らなければ一分も立たぬとあるが、どう通るか                        1、千尺井中の石を袖をぬらさずして取れ                                             1、千里先のともしびを消すにはどうしたらよいか。さあ消してみよ。                                1、沖を行く帆かけ船を止めてみよ。                                                1、富士山を三尺動かすにはどうしたらよいか。さあ動かしてみよ。                                                       1、川向こうの喧嘩をここで止めてみよ。                                                1、対岸の火事を消してみよ。                                                   1、風の色は何色か。                                                     1、富士山をコヨリで結んで線香でかついで持って来い。                                         1、この広い世界で降る雨は幾粒あるか、数えてみよ。

ざっと、このようなものが1700則あるらしい。ひとつひとつの問いに対する時は真剣勝負そのもので、まさに命懸けで答えねばならない。ただし、1+1=2みたいに頭のなかで論理的に思考して答えを求めるようなものではなく、それこそ溜め込んだ知識でどうなるものでもない。

1700どころか、例にあげた上記問題のどれをとっても、ちっともなんとも答えの見当もつかない・・・けれどひとつでもコレダ!と言えたら残り1699も解ったようなものとも言われている・・・つまり「悟る」ということなのだろう。

それにしてもチンプンカンプン。

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2006年10月27日 (金)

ブル-ツーリズム

グリーンツーリズムに引っ掛けてブルーツーリズム・・・・農村に民泊して農業体験をするというスタイルは全国にあるが、漁業体験というのはあまり聞かない、何故だろう?

「古賀の食育を考える会」でも魚の話は一度足りとも出てこない・・・穀物や野菜のことばかりで、肉や魚のことは話題にならない、何故だろう?

食育を考えるということは、動物性の食べ物を排除したほうがよいからということなのか、古賀市は漁業、畜産関係者がいないからなのか、北海道や熊本などでは食育をどうとらえているのだろう?

ふつうに考えると、食育=穀物菜食ではないから当然、魚も肉も乳製品も併せて考えるのだろうが、暗黙のうちに我々のグループは、良い食事=穀物菜食という前提があるのかもしれない。

で、ブルーツーリズムだが、昨日起業塾の集まりがあってゲストに漁業関係者が来られててナンヤカンヤ話しているなかで浮かんだ言葉・・・グリーンツーリズムがあるなら海=ブルーツーリズムもあってよかろうと・・・。  昨日のかたは、つい先日、宗像大社が年に一度行う神事「みあれ祭」にも参加した「若潮丸」の船長で、遊魚船をやっている。ジギニング(疑似餌を使ってルアーで釣る)という釣り方の観光漁船だ。

午前の部と午後の部があって、それぞれ往って帰って5時間コースで一回の料金6000円、一人からでも受けつけるそうだ。船長の悩みは土日はいいが平日がヒマなので、このヒマな平日対策になにか名案がなかろうか?という相談だった・・・

そこで思ったのが、自分みたいに釣り方がヘボで、誰か教えてくれる人はいないか?釣った魚をその場で食べたいな、さばきかたも習いたいな、泊り込みで漁師さんの話も聞きたいな、プロの仕事も見たいなetc       そんなこんなを満たしてくれるところがあれば行きたいなというのはある。

それと平日対策とは結びつかないとは思うが(メンバーにマーケティングのプロがいて、その男がいいアイデアを出していた)、日頃農業関係の話ばっかりだったので、ちょっと新鮮オモシロかった。かつ農業にも活かせるなーという部分もあった。具体的な内容は起業塾の守秘義務があるので、ナイショだけど・・・。

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2006年10月26日 (木)

多様性

昨日は、TVゲームの新作がたくさん入荷したり、価格変更の日でバタバタしてたら、あっという間に「古賀の食育を考える会」の会合時間となり、つい書きそびれてしまった。

食育のメンバーも回を重ねる毎に増えてきて、昨日も一名新顔が参加された。毎回自己紹介をしあうのだが、その方のお話のなかで、古賀市がくさっているというフレーズがいちいち数えたわけではないが、10回くらいは連発していた。そのくらい古賀市がクサッテいるのかもしれないが、ご本人も若干精神を病んでいるとのことで、コワレテいる人がクサッテいると言ってもチョットなーみたいな気分がありつつも・・・・

この会は、他にもバツイチ書道家、別居中詩人、IT系ファーマー予備軍、儒教系伝統食追及家、自給自食型脱サラ農家、元カルト系シルバー、環境おたくなど、多士済々ヘンテコリンな人たちが集まってきている。      このなかで唯一平凡でノーマルなのが団塊おやじなのだが、これだけヘンなのをヘンだと思わないところを見ると、こっちも少しヘンかも・・・

ともあれ、毎回新人がくるのが楽しみで、この変わり者・・・もとい個性あふれる人達の個性が融合されて美しいハーモニーを奏でるようになれば、このクサッテいる古賀市も食育をキッカケにイキイキ元気な古賀市に変わっていくのだろう・・・ついでに精神を痛めている方も良くなってくれると二重にうれしいのだが・・・。

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2006年10月24日 (火)

ひふみ祝詞

ひふみ祝詞は毎日かかさず奏上しているが、いままでその意味は解らないままただ47の言霊を発していただけだった。その意味を知りたくていろいろみてきたつもりだったが、どこにも具体的な説明を見出せなかったところ、やっと出会えた・・・ホントかどうかは検証しようがないけれど、

この祝詞をアヒル文字で刻んだ石板が幣立神社にあるというので、かつて尋ねたこともあったが、もちろん見ることはできなかった。

ヒフミ ヨイムナヤコトで始まる47音の言霊、最後にンと飲みこみ48音(ヨハネ)となる。究極に重要な祝詞であるにもかかわらず、殆どの神社で奏上しているのは「高天原に~」のほうだ。

それで、ひふみ祝詞の意味だが(CyberStoneHomePageより)、

1、ヒフミヨイ ムナ ヤコトモチロラネ                                                宇宙間の生物、森羅万象は恩顧(すべてのものの恵みを受けること)により生(活生命)を享(身を捧げる)くるものなり、我々は日常生活の就中には全て 日の神 月の神の慈しみによること至大なり

2、シキルユイツワヌソヲ                                                    日月の神は 常に死・老・病の苦悩を去らしめ、悪神、悪魔(一神の神)をして憑依する能わしめ(永遠の生成化育の発展を計り給う)                                                          

3、タハクメカウオエニサ                                                      陸の耕地は、年々豊かに富ならしめ、海の魚は日毎に獲物あらしめ給う                                                

4、リヘテノマス                                                              老若男女を問わず 黙々として悦びて 働き以って 日月の赤子をして相和し 悉く餓ゆること無からしめよ

5、アセエ                                                              朝に出て 日を背に汗し 夕に帰りては 陰陽和合の喜びをたのしみ

6、ホレケ                                                              常に熱烈に 日の神、月の神の出現を祈り かつ拝せよ

日の本の子は、神人一体の道=かつて神が歩んだ道を子が歩む 神を中心とする道、これを神道という。

ひふみ祝詞の世界は、やはり自然に感謝し額に汗して田畑を耕しその恵みをいただく そして家に帰ったらかちゃんとエッチする  これが基本スタイルのようですね・・・。

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2006年10月23日 (月)

最強の言霊

言霊にパワーがありそうだというのは、江本勝さんの「水からの伝言」を読んだ人ならスンナリ納得するだろう。「ありがとう」と「バカヤロー」で水の結晶があんなに変わるとはビックリ・・・人体も水分70%だから、「好きだよ」と「アンタなんか大嫌い」では、細胞に与える影響は段違いなんだろね。

精神科医の越智啓子先生は、この言霊パワーを使って薬を一切使わず治療にあたっておられる(他にアロマ、クリスタル、そしてヴォイスヒーリングと組み合わせて)のだが、先生曰く最強の言霊は、「すべてはうまくいっている」なんだそうだ。

なぜかというと、人は生まれる前に今回の人生を自らプログラムしてこの世に生まれてくるのであって、親も自分で選んでいるし、人生で出会う人達も、起こる出来事もすべて自分の魂の学びに必要なことを盛り込んでいる。

そう考えると、なんでこんな親のもとに生まれたんだろーとか、最悪ぅーツイてないなんてことも、すべて学びのために自分が設定しておいたことなんで、予定どおり、望みどおり「すべてはうまくいっている」ということになる。

そう考えなくて、ツイテない、自分は不幸だ、うまくいかないのはまわりのせいだーなんて言ってると、学びのために自分が設定した質問にいつまでたっても答えられず、何度も繰り返し不幸な出来事が起こる・・・気づくまで。

起こること、出会う人みんな自分の望みどおり「すべてはうまくいっている」と考えれば、人生スイスイ次々と学びの階段を昇っていって「悟りの境地」アセンション達成万事OK・・・最高の人生になるんだろうなー。

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2006年10月22日 (日)

真実

きっこのブログを読んでいたら、イーホームズの藤田東吾社長のことが綴られていた。

読めば読むほど、この国のお役人さん、そしてリーダーである総理大臣に対し腹が立つとともに、大きな力に対し真実を伝えるために命がけで闘っている藤田社長、そしてそれをペンの力(キーボードの力?)で支援し共に巨悪に立ち向かっているきっこさんの勇気に拍手を送りたい。

自分がその立場にあったとしたら、同じようなことが出来るかと自問してみるのだが、その立場になってみないとなんとも言えないというのが正直なところ・・・実際に安晋会つながりで人が消されているし、殺されることを覚悟しないとやれたもんじゃない。なのに、総理大臣に危険を承知で直訴するってことは、もはや自分の命はどうでも良くもっと崇高な理念に突き動かされての行動だと思う・・・絶滅品種になりかけているかに見えたニッポン男児がまだ存在していたことに感動を覚える。

またこの件に関し、ジャーナリストの江川紹子さんがコメントをだしていたのも見たが、非常にフラットな偏りの無い意見で、これまた読んでいて気持ちが良い。

で、ここまでは普通のとらえかたなんだが、この事件に関してもスピリチュアル的に解釈したらどうなるか?

真実ってなんなのか?この事件の真実という前提で真実を語るならば、当然藤田社長ならびにきっこさんが言っていることが真実だろう・・・ところが、この前提をはずして真実は?となると途端に答えが解らなくなる。藤田社長の真実、安部総理の真実、国交省の真実と人の数だけ真実があることになる。

話は変わるが、例の今林大が起こした飲酒引き逃げ事件・・・あれ以降飲酒運転は大幅に減った。そういう意味では今林被告は世の中に対し大きく貢献したことになる。殺されたほうはたまったもんじゃないのでこんなこと言うと怒られると思うが・・・・

いいたいことは、表面上の真実と併せて裏の真実=悪の役割まで考慮に入れて判断したほうがいいのではないかということで、つまり100%オモテの判断で裁き、その対象に憎悪を煮えたぎらすのではなく、悪の役割も認めた上で根本から良い方向に持っていく道を模索することが大事なのでは・・・

なにかコトが起こった場合、こんな言い方をすると、よく言われるのは「当事者じゃないけん、言えるったい」    おっしゃるとおり、当事者だったら爆弾抱えて突っ込むかもしれない・・・なので普段からそうならないよう練習しているワケ。

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2006年10月21日 (土)

オールOK

神人合一・一体全体、宇宙と自己とが一体であると思えるようになると悟りの境地。

善はOKで、悪はNOというのではなく、悪もOK。それがマクロビオティックの世界観、そして宇宙の法則・・・なんでも二元的に考えて善だ悪だ、正だ邪だと裁くのは、西洋的思想であり、陽は必要だが陰は不用だというのがおかしいように片手落ちの発想で宇宙の法則とは相容れない。

こういう解釈でいいのかどうか100%の確信は持ててないが、正食協会発行の「むすび・11月号」での特別対談で正食協会・会長の岡田定三氏とマクロビオティック京都の松田敏彦氏が語っておられることは、近頃のにわかマクロファンには耳の痛い、桜沢先生の本質追及派にとっては我が意を得たりといった感じでなかなか面白かった。

桜沢先生が求めたのは「最高の判断力」と喝破されており、これを単なる病気治しあるいは食養生の術ととらえると、非常に矮小化されたものになり最高の判断を誤りかねない。マクロをもっとおおらかで自由にとらえて、なにがなんでも玄米菜食じゃないといけないというのではなく、もっとも基本的な地元でとれた自然なものを一物全体で食べるという点だけおさえてあとは本能がオイシイと感じるものなら殆どOKというくらいが丁度いい・・・・

これなら無理がなく、だれでも採り入れられる。「なんちゃってマクロビオティック」などと、ちょっと卑下した言い方をワザワザすることもない・・・・狭く窮屈に解釈していると一部の人しか入って来れない、いつでもだれでもどこでもがマクロですよって・・・・まったく同感です、ハイ。

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2006年10月20日 (金)

食育の町づくり

食育に関しては決して進んでいるとはいえない古賀市を食育先進都市にしよう!ということで、現在取り組みが行われている。

現状は、学校給食はセンター方式だし、有機農家は殆どいないし、オーガニックレストランもなし、自然食品店もなしのナイナイづくしの田舎都市で市長もアートには興味あるみたいだが、食育に関してはどうも関心なさそう・・・・

食育が進んでいるモデル地区が、どんな状態なのか?勉強不足で明確なイメージはないが、例えば長崎方面では、家庭の生ゴミを堆肥化して野菜をつくる運動が盛んであるとか、四国のどこかの学校では、毎月弁当の日を決めて子供達が一緒になって弁当づくりをやってるとか、宮崎の綾町では「有機農業の里」づくり、佐賀の三瀬では、スローフード運動に取り組み始めたなど、いくつかの動きはあるようだ。

そうしたなかで、古賀の食育はどうあるべきか・・・すべてはこれからだが、

①子供の食事を見なおそう                                                        ②生ゴミを堆肥化して、元気な野菜をつくろう                                           ③地域の農業を活性化して、地域の自給率を高め「地産地消」を実現しよう                             

以上、三つのテーマを掲げてこれを実現させるため、まず実態を知る→あるべき姿を明確化する→市民を啓蒙する→参画者を増やす→既成事実をつくりあげる→行政を動かす流れに沿って運動を展開していく。

個人的には、雑穀ビジネスを起ちあげたいという思いがあるので、できるだけこの運動と融合させる道を模索したい。いまのところ雑穀の位置付けは無いに等しいので、生活のための仕事(TVゲームショップ)7:食育3で雑穀は食育のなかでとらえなおすか・・・関連はあるものの入り口を間違えると目指した山頂に立てないのでチクと考えてみよう。

古賀市が食育のモデル地区になるのと、雑穀の名産地になるのとどっちがステキ?                     いずれにしても、ひとりでどうなるものでもないし、内なる声が聞こえてくるまで目の前にある具体的なことがらにマジメに取り組んでおこう。

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2006年10月19日 (木)

アセンションの時代

バーバラ・マーシニアック著・小松英星{解説}の「アセンションの時代」読了。

1週間前のこと、3人で純米酒を飲んで盛り上がったのはいいけれど、その帰り道再び、泥酔→自転車横転→顔面強打→眼鏡破損→血を流しながらも帰巣本能が働きなんとか帰宅したものの翌日からド近眼のため、不自由な日々を送ることになった。

近くの天神愛眼に眼鏡を作りに行ったが出来あがりまで、1週間かかりやっと昨日からまともに目が見える状態にもどった。顔面の傷もすこしずつ回復し痛みはほぼなくなった。腫れ上がった顔を記録しといて反省のツールにしようとて携帯でパシャッと撮ったけれど、あまりの醜さに正視できず、ソッコーで消した。

そんなわけで、パソコンも使えなかったのでブログも書けなかったが、本は近眼でも読めるので「アセンションの時代」を読んでいた。

これは、バーバラ・マーシニアックというチャネラーがプレアデス(日本名はすばる)星人=地球外知的生命体から受けたメッセージをまとめたもので、アセンションを意図している方にとっては、必読の書ではないかと読み終わった今、そう感じている。

今と言う時代、地球および地球人の存在、そして自己の在り様について思いを新たにした。同じ人間から言われると、なにかと反発を感じることも人間以外の存在からだと、その存在を信じさえすれば素直に聞ける。もちろん地球外生命体といってもさまざま、チャネラーもさまざまなのでいちがいには言えないが、言ってある事がすごくシックリくるので、これはホンモノではないかと・・・・

さてプレアデス人は、我々地球人になにを言いたかったのか・・・それは、

今と言う時代は、特別な時代だということ、そして場所も・・・広大な宇宙のなかで、非常にまれに宇宙のエネルギーの巨大な加速が起こることがある、それが1987年~2012年の地球であると・・・・

これは、記録された歴史上にはない出来事であり、前例のない体験である。すべてのものが加速しているので、やがて途方もない変化が起こるだろう・・・かつて人類は宇宙エネルギーの本質を誤解し誤用したために必然的な自滅の道を歩んだ。人類は意識宇宙の巨大な断崖に急速に接近しつつあり、ここでどんな選択をし、何をするかによって、これからの体験の流れは決定する。

意識の新たな大変革が迫られている・・・そのためにアドバイスしたいと。

多方面にわたってアドバイスがあるが、要約すると、いままで正しいと思ってきた信念もコントロールされたマスメディアからの情報にもとづいたものであり、歴史認識・科学・宗教観もすべて情報操作されたものが殆どなので、いったんその信念・思い込みを捨て去ってしまうこと。

誰が操作してきたのか、それは公式見解ではないがよく言われるところの支配構造である。ところが今回の大変革はこの支配構造も地球から抹消させずにはおかない。すべての知の体系も社会の仕組みも宇宙の真理を基盤とした新しい構成に置き換わることになる。

この時期に地球という星を選んでこの世に生まれてきた我々は、情報操作によって構築してきた悪しき信念をかなぐり捨て、自分の本来の力は無限であることを信じ、その力をものにすることで輝かしい現実を創っていくこと、そのことを明確に意図すること・・・

ひとりひとりが、迷妄から目覚め覚醒の道を歩み出す・・・それが集合意識となって素晴らしい現実を創造することにつながる。そういう意味では、地球人類にとって覚醒は個々の義務ともいえる。

いままでの間違った信念に固執することは操ってきた支配構造に栄養を与えることであり、彼ら共々抹消される道を歩むことである、ぜひプレアデスの暖かいアドバイスに耳を傾けアセンションへの軌道に一歩踏み出す道を選択してもらいたい。

そのまえに、飲み過ぎでコケたりしないようホドホドにしときなさい!・・・ハイよく解っております、プレアデスさんごめんなさい。

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2006年10月12日 (木)

半霊半物質

アセンションしたらどうなるの・・・半霊半物質になるというのが、ひとつある。それがどんな状態なのかよく解らないが、ともかくそのように変容しなければ新しい地球の住人として住めなくなる。酸素がないと生きていけないのと同じように。

今度の大峠は、いままでのような部分的なもの(アトランティス・ムーの消滅など)ではなく、全地球的なものであり、かつ全人類に及ぶものと言われている・・・誰が言ってるのとか、ツッコまんでね。

いままでは、輪廻転生とかのシステムがあったので、今回死んでも次があるから・・・なんて考えもできたけど、今回ばかりは、ジ・エンド霊魂までもキレイサッパリ消えてなくなる・・・アセンションできた人は別。

なので、とりあえず3000年くらい前まで遡って積み重ねられてきた価値観・常識・生きかたすべてを、いっぺんチャラにする必要がある。戦後とか、明治とか、そんな最近のことではなくお金・物質・物に価値を置くという考えの根源まで遡って引っくり返して見る必要があるということ。

常識と思って疑ってみたことがないものも、実はイシヤ(フリーメーソン)から、じっくりしっかり気がつかぬうちに植えつけられてきたものが殆ど・・・いま世界で起こっている悲惨で醜悪なものの根っこにあるもの。

だから、徹底的に身魂を大掃除しないと、新しい世界(ミロクの世)に引越しできないのだ。信じようが信じまいがアンタの勝手だけど・・・なんて愛のない言い方からして消滅組かも、

そこで「半霊半物質」に近づくにはってことで、ひふみ神示にそって箇条書きにすると、

○悪の言葉は言ってはならん                                                 ○理屈は言ってはならん                                                   ○自我を出してはならん                                                      ○人の悪口は言ってならん                                                   ○欲を出してはならん                                                       ○よいと感じたなら直ぐ実行すること                                            ○イヤなことは他人にさせず其の方がやること                                        ○何事も他人のせいにしない                                                 ○学や、智をたよらぬこと                                                      ○他人をたよることならん、人のために為せよ

以上、なーんだこんなことカンタンと思えた人、アナタはOKです。ミロクの世に住民票移せます。けれど、カンタンそうでけっこう難しいよね・・・理屈けっこう言ってそうだし、人の悪口言うこともあるし、自我なんてバリバリ出しているし・・・・でもイイんです。今日からでも変えよっと思って実行すれば、まだ間に合います。

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2006年10月11日 (水)

宇宙的イベント

昨日、「想いは現実化する」というテーマで書いたばかりだが、今日「デイリールーツファインダー」というブログで「ミッション1017」という宇宙的イベントがあり、それぞれがそれぞれの方法で計100万人に、このイベントのことを伝えてくれ・・・そうすれば、個人の想い・人類の想いが100万倍早く実現するとのこと。

ポジティブであろうが、ネガティブだろうが、どんな想いでも100万倍に増幅されるので、邪悪な集団がこれを利用するとけっこう危険かも・・・したがって伝える相手は人と地球・自然に対しポジティブな想いを持っている人でなければならない。

さて、そのビッグイベントの日時だが、

10月17日、午前10時17分から10月18日、午前1時17分までの時間帯でその力がピークに達するのが、  10月17日、午後5時10分                                                    場所は、できるだけ自然の近く・・・大樹や海の近くなどが良い。それぞれの想いを前向きで穏やかで善良な想念に集中させて、宇宙からのビームをハートチャクラで受け取る感覚でやれば良い。

愛・繁栄・癒し・富・親切・感謝といったことばにフォーカスして、世界中で100万人が、ワンネスという存在とつながれたとしたら・・・奇跡が起こるかもしれない。

以上、かいつまんでの伝達であるが、詳しくは、「デイリーるーつファインダー」を見て欲しい。ピークタイムはお仕事中の人も多いと思うが、自分自身、人類全体のため、その時間帯のなかでできるやりかたで実行されてはいかが・・・100万人のひとりとなって。

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2006年10月10日 (火)

想いは現実化する

「想いは現実化する」・・・ホンマかいな?

これは、れっきとした宇宙の法則なので、信じたほうが良い。いま目の前にある現実は、自分が創造したものなので文句をいってはいけない。自分の意識が原因となって、現実という結果を得る。

だから、喜びを与えたら、喜びを受け取り、心配をすると心配事を引き付ける。この法則を信じれば、なんでも想い通り・・・手に入れたい状況を現実化するのに他人に頼らなくとも、お金がなくてもOK。

人はだれでも無限の力を持っていて、素晴らしい現実を自らの手で生み出すことが出来る。これは法則だから、素直にああそうなんだと信じれば良いだけのこと。

ところが、本当に素晴らしい現実を手にしている人となると、そうそうは見当たらない・・・それはナゼ?      それは、やっぱり自我なんだろうね。価値観とか、常識とかが邪魔してる。

まず、自分は無限なんだと言われても、肉体そのものも有限だし素直にハアそうですかとはなりにくい。いくら完全で無限である存在(神)から分かれて自分という存在があるのだから、あなたも完全で無限なんですよという理屈を知ったとしても、自我はウソだろと思っている。

このスタート地点での、捉えかたが根本的に変わらない限り宇宙の法則をわがものにはできない。無限と思うから無限にパワーを発揮して現実のものにすることが出来る。

結局、ここのところ=自分は無限、自分は完全、自分は神とホンキで思えるかどうかがカギ・・・そのことに気づくこと、それが人生なのか。

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2006年10月 9日 (月)

大仮説

「99.9%は仮説」著者は竹内薫

そのなかで、大仮説のことを、現在の常識から考えるとちょっと疑わしい仮説のこととして、今のアメリカで物議を醸している「インテリジェント・デザイン説=知的設計説」というのが紹介されている。人類の起源の話・・・

むかしは、聖書の記述どおり、約6千年前に人類は神によって創られたという「創造説」が一般的だった。それの対して、すごく原始的な生物から40億年かけて少しずつ進化していったのが人類であるとしたのが、ダーウィン。

知的設計説というのは、このダーウィンの進化論に対する対立仮説。これはカリフォルニア大学サンディエゴ校で1999年につくられた。

宇宙のどこかに知的設計者がいて、その知的設計者が例えばDNAを設計して、生物を創り出したという説。

かたちを変えた創造説と言えなくはない。この説を高校や大学で教えていいのかどうかという議論が、いまアメリカで盛んに行われているらしい。日本ではまだ議論されていないが、ブッシュ大統領は「進化論はたくさんある仮説のうちのひとつに過ぎず、対立する仮説としては、たとえば知的設計説とうものがある」という立場を取っている。

13~17才のアメリカの若者対象にアンケートを取った結果(2005・4・28号ネイチャー誌)、進化論を信じているのはたった37%だった。

これに対し・・・生物学界は、進化論に対する危険思想                                        宗教界も、あまり歓迎していない。理由は神の意図は人間ごときが簡単に解る訳がない、知的設計者が何をどう設計したのか神じゃないと解らないと・・・

進化論は生物の起源についてはなにも触れていない・・・進化のプロセスしか説明していない、神様の出番はちゃんと確保されているので、教会としては進化論を肯定的に認めている。

進化論は進化の過程の話で、知的設計説は起源そのものについての話なので論点がズレているのであるが、なぜか一緒の土俵に乗せて論じている人が多いのが現状らしい。

竹内氏は、進化論を否定する気は毛頭ないが、いまの科学の現場、生命の起源については本当になんにも解っていない・・・と断じている。「なんらかの知的生命体が生命の種をまいた」みたいな話は、グレーゾーンの仮説としてはアリだと思う。そしてそれは学校で教えるべきだと・・・ただしその際、生命の起源について解っていることと解っていないことをはっきり区別して、いろんな仮説があるよと・・・そしてそのうえで起源から後の話は進化論で説明するしかないという教え方がベスト、つまり全部教えればいいだけの問題だと・・・

当方は、知的生命体=神(ことばとしては、他に適当なものがないから)としての起源説がしっくりくる。進化論には懐疑的である。もちろん根拠を説明できるわけではないが・・・。

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2006年10月 8日 (日)

久しぶりに妻と

息子となかなか連絡がつかず、気になっているので会いに行きたい  

ってことで、息子のいるであろう佐賀県富士町に向った。住所を頼りに探したものの解らないので駐在署まで行ってやっとこさ辿りついた・・・ところがどっこい、その店(温泉旅館)にはおらず、久留米市の支店に配置替えになったとのことで、一時間ばかりかけてやっと目的地に接近したところで息子から電話・・・「どうしたと?」「お前を探しよったい」~「今はその店でもない、丁度いまから休み時間やけん、外で会おう」ってことでどうにか、息子と再会。

久しぶりに会ってのカミさんの感想は「目が死んどったねー」・・・仕事がうまくいってないらしい。ここ数年アチコチ転々として・・・話を聞けば、それなりにそこを辞めたくなる理由はあるようだが、長く続かないという事実のなかに、「自分は正しい、会社がおかしい」という思いが・・・・

相手を変えようとするのは無理だと思え、お前の見方を変えろ、そうしたらお前もラクになる・・・と説教をかますけど、まともに聞いてはいない。

苦労の体験も悪くは無いが、同じような現象の繰り返しは、いただけない・・・久しぶりに会って、こいつまだまだ苦労するなっていうカンジ。

帰り着いたのは、家を出てから10時間後、カミさんとこんなに長い時間一緒にいたのも久しぶり。たまには夫・父親を演じるのも悪くは無い。

道すがら、感じたこと・・・                                                       ○三瀬村にある、食堂&野菜直売所「まっちゃん」は、異常に客が多かった・・・人気メニューの「ざる豆腐」には長い列が                                                                ○三瀬峠の天然酵母のパン屋さん、ここも多かったが、丸い大きなパン840円・・・ちょっと高いなーでもカミさんが欲しいのならイイか。                                                      ○久留米の喫茶店、昔はこういう店けっこうあったよなー、でも最近めっきり減ったよねというカンジの店。雰囲気は悪くないが、コーヒー525円、ちょっと高くない?                                       ○帰り道、高速道路に入ったら事故の為、5キロの渋滞。これは高速じゃない、カネ返せー

とかなんとか、ひとつひとつ金勘定している、商売人根性抜けないねー。

車のなかで、「60才になったらTVゲームショップ辞めて雑穀カフェやるからね」ってボソっとジャブをいれたら、「借金があるのに何考えとうと」って案の定の返事・・・この手強い相手をどう攻略するか、難問中の難問かも。

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2006年10月 7日 (土)

バランス

物質的なものと精神的なもののバランスをどう考えるか・・・

人間は物質世界で生活している。なかでもこの時代の日本人は物質主義が極限に肥大化した世界に生きている。だから、物質的なものを全面的に否定する生きかたができるわけもないし、する必要も無い。

物欲・名誉欲・名声欲などの欲望もすべて捨ててしまうことはない・・・スピリチュアルなものの捉えかたばかりだと、折角物質世界に生きていながら「今ここ」からの学びを放棄して逃避することになるから・・・さりとて物質主義ギラギラで他人の迷惑、地球の迷惑かえりみずといった生きかたで持続性が保てるわけもない。

重要なのは、物質主義とスピリチュアルなものの両者のバランスをとることに挑戦する人生を選ぶことなのではないか。当たり前と言えば当たり前だが、当方も含め、身の回りの方たちを見てもこのバランスがうまく取れずに悩むといったことがよくある。

どの時代のどの国に生まれるかといったことは、その人の人生、その人の学びと深く関連している・・・なぜなら、それが今回の人生の学びのテーマとして設定して生まれてきたのだから・・・

欲を否定せず、かつエゴを大我へと昇華させることにも意をはらい、どちらかに偏ることなく一歩ずつ・・・一歩進むたびに精神性のウエイトを上げつつ、2012年を迎える・・・バランスは時間の経過とともに、少しずつ変化する。

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2006年10月 6日 (金)

鳥の会議

「フォトン・ベルトの真相」のあとがきより・・・著者はエハン・デラヴィ。

ファラド・ウディン・アタール=スーフィー教の指導者・詩人                                    スーフィー教=イスラム教の裏の教え、秘教でコーラン原典主義から見れば異端                      スーフィーの教えは、寓話や物語を通して哲学的・宗教的な教えを伝道する。アタールも「鳥の会議」のなかで人間の意識の旅について説明を試みた。

あるところにフーボーという鳥がいました。                                              ある日フーボーは全世界の鳥たちに向って、これから会議を行うので集まるように呼びかけました。          全世界の鳥たちは一箇所に集まって、フーボーの話を熱心に聞きました。                       フーボーは次のように呼びかけました。

「私たち鳥には、サイムルグという名前の神様がいる。サイムルグは幻の国の宮殿のなかで生活している。これからサイムルグに会いに行こう」

しかし、遠く離れているサイムルグ゙の宮殿に行くには、長く危険な厳し旅になることは目に見えており、命の危険も覚悟しなければなりません。そこでフーボーは、

「サイムルグに一回でも会えば、私たちは覚醒し、本当の生きる目的を見つけ、幸福になれる」と語りかけました。

鳥たちは顔を見合わせ、相談しあいました。神様には会いたいけれど、危険な旅であり躊躇しているのです。するとフーボーは、「行きたくないのなら、行かなくてよい。しかし行きたくない理由をみんなの前で言いなさい」と言いました。

鳥のなかでもっとも美しい声を出し、人間を喜ばすことで有名なナイチンゲール(ウグイス)は、「私は本当は行きたいのです。長い旅のなかで声が枯れれば人間を喜ばすことはできません。私の使命を果たせないんです」と言いました。

それに対してフーボーは「ああそうか。それならやめて結構だ」と答えました。他の鳥たちも、次々と前に出てきて、行きたくない、いや行けないと、理由を説明しはじめました。

結局、集まった鳥たちのなかで、行くことを決意したのは数百羽にすぎませんでした。それから7年にわたる、彼らのつらく苦しい旅が始まりました。そのうちの三分の一の鳥たちは、その途中の危険な冒険のなかで脱落していきました。

サイムルグの宮殿にたどり着いた時には、もう37羽しか残っていませんでした。到着した鳥たちも疲れはて、羽根は落ち、貧弱になってボロボロでした。限界のなかでようやくたどりついた鳥たちは、宮殿の責任者に案内されて、サイムルグの部屋にとおされました。

その部屋には大きなカーテンがあり、その向こうでサイムルグが待っていると言われました。37羽の鳥たちは気を取り直して、期待に胸をふくらませました。

長い間待たされました。どのくらい経ったのでしょう。ようやく「今からサイムルグとの対面ができますよ」と言われました。カーテンの幕がゆっくり上がっていきます。しかしそこには、誰もいませんでした。

「どうなっているんだ!」「7年間ボロボロになるまで飛び続けて、危険な目にあって、いろんな体験をして、やっとのことでここまできたのに、誰もいないじゃないか!」鳥たちは騒然となりました。皆はフーボーに向って言いました。

「サイムルグはいったいどこにいらっしゃるのですか!?」それに対してフーボーは、静かな口調で「じつは君たちに言わなければならないことがあるんだ」と言いました。みなフーボーの次のことばを待っています。フーボーは言いました。

「サイムルグとは、じつは37羽の鳥のことなんだよ」それを聞いた鳥たちは、自分たちの数を数えました。その途端に、彼らは悟りを開きました。

「ああ、俺たちがサイムルグなんだ」と気づいたのです。

この寓話で言わんとすることは・・・「外にいる神」を捜し求めるのは間違ったことであり、神は自分の心の中にこそ存在しているということ。また、鳥たちが長く危険な旅に出ることに躊躇したのは、そのまま人間にもあてはまり、スピリチュアルな進化をすることに興味を持っているにもかかわらず、実際に取り組む人は非常に少ないということを意味している。

はたして、37羽のなかに入れるのか?それには「勇気」が必要・・・「パワーかフォースか」でも述べられていたように、200=勇気 このレベルがアセンションのターニングポイントとなっている。進化とは200以上にすみやかに移動すること。200がパワーかフォースかの境目である。いままでの権力、勢力はすべて200以下であり、この領域にいるかぎり消滅に向うしかない。

ようするに危険を回避しようとして飛び立たないと決めても、もっとも危険な状態に追いこまれるということなのではないか?・・・・ならば勇気を出して飛ぶしかないんでは・・・というのが当方の感想です。

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2006年10月 5日 (木)

牛乳

昨日、「食育を考える会」の会合に給食センターの方が来られて・・・・

センター方式の問題点を縷々述べておられた。5700食を少人数で限られた時間で作るため、芋を洗うのも、皮をむくのも全部機械でやる その為野菜は規格にそった大きさでなければならない 地元では規格にあったものが一部しか揃わず、結果地場産のものは13%しか使っていない。

確かに自校方式に比べ省力化もでき、効率はいいのだが生徒との間は分断され相互に顔の見えない関係になっており触れ合いはない。本音では自校方式がよいのだがと言っておられた。

献立は県から派遣された栄養士が決めており、当然現代栄養学にもとづき規定どおりの栄養を満たさねばならない。

まーこの辺までは想像していたとおりなのだが、どうみてもヘンだと思ったのは、パンであろうがご飯であろうが牛乳をつけている・・・・ご飯に牛乳だよ、気持ち悪くないか。牛乳じゃなくても、それに変わる栄養素なんていくらでもありそうなのに・・・・県・国とさかのぼって、なにか牛乳を採り入れないといけない力学が働いているのか?なんとも訝しい話だ。

牛乳の問題点は以前も書いたが、                                                ○牛乳は消化が悪い                                                          ○乳脂肪分が酸化して過酸化脂質となりこれが活性酸素をつくりだす                          ○牛乳は子牛が飲むためのもの。乳糖を分解する酵素は日本人はもともと少なく、かつ年齢とともに減っていく ○アレルギー体質をつくりやすい(腸内環境悪化)                                          ○骨粗症を招く(血中カルシウム濃度自己コントロール機能が働き、かえって体内のカルシウムを減らしてしまう)

このようなことは、最近では常識化してきており、すくなくとも食にたずさわる者が知らないというのは職務怠慢といって良い。なにごともお上のいうとおりにして子供を犠牲にするってのはもっての他だと思うが・・・

組織のなかにいたら、タテつくことはクビを意味するのでカンタンにはいかないのは良く解るので、ちょっと知恵を働かさないとやばいことになるので、時間をかけて親なり市民なりを味方につけてなんとかするしかないのだろう。

そういう意味でも「古賀の食を考える会」も、これからがんばらないとって感じた次第なのだ。                                              

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2006年10月 4日 (水)

食育運動

食育運動は、全国アチコチでやっていることと思うが、おらが町でも始まった。

手始めに交流会と北九州市でオーガニックレストランをやっていて話がうまい、解り易い、インパクトのある高畑康子さんの講演会を開催する。

高畑さんは、森下敬一博士に触発され、今のようにショクイク・ショクイクと言われる前から日本の伝統食の良さを訴えてきた先駆者的人物だ。マクロビオティック界でよく見かける・・・・やせてる・どす黒い・陰気臭いタイプとは全然違う、明るく元気でハツラツとしたおばあちゃん・・・もとい昔のおねえちゃんである。

交流会では、地元(福岡県古賀市)の農家のかたや、保育園・幼稚園・学校関係者やレストラン関係・子育て中のお母さん・家庭菜園などやっている方々など皆さんにワイワイ語り合ってもらい、相互に「食」の現状を解りあおうじゃないかと・・・

とにもかくにも、具体的な動きが出てきたことはとってもイイこと、これをきっかけに古賀市が全国に先駆けて「食育のモデル地区」になれれば、ベリーグッド。

11月4日(土) 13:30~16:30 古賀市中央公民館でやるので、近くのかたは是非参加してみてネ。

先日は隣町で、あの吉田俊道さん(生ゴミコンポストで元気野菜を!)の講演会を開催、多くの人が参加していたし、いよいよ関心は高まる一方のようだ。ウソっぱちだらけのマスメディアの情報と草の根的に実践を続けている人の話がいかに違うか・・・目からウロコを落とさないとジワーっと病人だらけの日本になるよ。

ってことで、クドイけど一度は聞きに来て欲しい・・・ただし500円玉にぎってね。

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2006年10月 3日 (火)

エゴ

エゴ(自我)

生きながらにしてエゴを亡くすことはできるのだろうか?                                    そもそも、三次元の物質世界においてエゴは亡くさねばならないものだろうか?                      エゴを消し去った人ってどんな人なんだろう?                                           エゴの無い世界というのは「空」の世界、即身成仏の世界?悟りの世界?

いろいろ考えるけどよくワカラン。                                                 先日も、そういうのが好きな連中が集まってワイワイやったのだが、いっこうスキっとしない、毎回そうだ。     ある人に言わせれば「ワカランことが解っただけでも、一歩前進」・・・ナルホドそうにはちがいない。

この連中が集まると、自己称停止・フォトンベルト・フリーメーソン・カタカムナ他、宇宙の話、精神世界の話、古代の話~トンデモ話までなんやかや出てきてオモシロイ。                                 なかでも自己称停止の話は、普段あまり話題にのぼることがないので、たいがいの人は「何ソレ?」となる。

以前も書いたことはあるが、これを言い出したオッチャンは名前も住所もない・・・個を特定する名称がない。   森羅万象の「究極の解答」を発見したのだとオッチャンは言う。この世のことはすべて、「コトバ」「数」「名」で説明がつく。この答えを見つけるには自己称を停止してみるしかない。

自己称を停止するということは、エゴ(自我)を限りなく消すことなのか?オッチャンに過去、何度も質問したけれど「まず止めろ、止めたら解る」としか言わない・・・まわりの人(お弟子さんのような人)もいろいろ説明はしてくれるが、聞けば聞くほど解らなくなるからヤッカイだ。

そこで、自分なりにしっくり来る答えを、とりあえずの答えとして持っておくことにした・・・そうしないと妙に落ちつかないから

エゴは、この三次元世界に生きている限り、消そうとしても消せるものではない。だから、消さなくて良い。消すのではなく、ちっちゃい個としてのエゴを極力、大きな個=大我(宇宙意志)に同調させる。つまり相対化して小さいエゴのことを気にしなくなる方向に昇華させる。

自己の目的を、小さく狭い目的ではなく、大きく広く高く設定すれば(それをリアルにとらえる)、それをステップbyステップで大きな我まで近づけていけば、おのずから小さなエゴにはとらわれなくなっているのではないか。

とりあえず、そう結論づけた・・・だから、そのように実践するべく努力するだけ。

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2006年10月 2日 (月)

マスターの教え

「内なる心」と「外なる心」

「内なる心」はパワーの源。本質として自ら判断して良し悪しを決める機能はない、意識の迷いもない。不可能・失敗・障害・限界・不足というものを知らない。「外なる心」の指示に従い「外なる心」が行けという方向に制限のないすごい力を発揮することができる。

「外なる心」は欲望をつくりあげる。この欲望が「内なる心」に自動的に取り上げられる そして「内なる心」は即座にその実現に向けて働き始める。しかし「内なる心」はその偉大な力をその方向に充分に発揮するヒマがない 次々と「外なる心」が新しい欲望を見つけたり ありもしない障害をつくりだしたりするから

「内なる心」は表面にあらわれておらず 外部の物事の接点もないので、「外なる心」の意のままになるしかなく その本来の力を散逸させられてしまう。そしてそういったことが 来る日も来る日も続くと 穴の空いたパイプから蒸気がもれるように そのすばらしい力をあらゆるところに撒き散らしてしまい何も達成できなくなる。

取り巻いている大気のなかには何千、何億という思想が飛び交っている。人間ひとりひとりも放送局であり受信機 確固とした目標を持たない者はあらゆるものにダイアルを合わせて結局何も得る事が出来ない。何百万という相矛盾する考え方になすがままにされて 彼等の人生は混乱と苦しみで一杯になる。

一方確固とした目標を持つ人は慎重にあるひとつのことだけにダイアルを合わせる お金が目標であればお金を得る こうした人が狙い定めた目標は達成されずにはいない。

何かに意識を向けるとき 自分の生命力の一部をそのものに移転する。対象が大きい、小さい 物質、非物質とかは関係ない。生命力の移転がなければ あなたのほうに引き寄せることができない。そしてそのことを念じ続けている間はずっとその目標に栄養を送りつづけている。望みがどれだけ真剣であるかによって その生命力が発せられる強さも違ってくる。

その力を向ける先がいくつもあると力は分散されて それぞれの目標はごく弱い刺激しか受けられず その結果反応が遅れ 時にはまったく何も起こらない。

大きな究極の目標・・・大部分の目標はそのまま置いておいて 今は全力を最も手近な最初の目標に向ける。その目標が実現したら次の目標に向ける。

「外なる心」で仕事をする時、個人的で限界のあるところで仕事をしている。一方「内なる心」から仕事をする時、個人の力を超えた無限の宇宙の力の助けを呼び覚まし 受けとっている。

個人を超えた無限の宇宙の力を用いる者は、最高に優秀な人間といえる。

目標に向って「真剣さ」をどれだけキープできるか                                     「内なる心」にいいメッセージを送りつづける                                          望ましい絵をまず心のなかに描き、それを自動的に外の世界に焼き付ける・・・・これができればあなたはマスターといえる。

これがマスターの教え・・・まず確固とした目標を立てることが先決だが、究極の目標は他人には言わないほうが良いそうだ。自分の心にしまって置いてそのパワ-が散逸しないように。

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