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2007年1月30日 (火)

火の鳥

友達から借りていた、手塚治虫の「火の鳥」全13巻を先程読み終えた。仕事の合間にチョコチョコ読んだりできるのも一人でやってる気楽さかなー・・・

マンガを読むのは久しぶりだし、手塚治虫といっても鉄腕アトムくらいしか読んだ記憶がなかったけど、大人になった今、初めて「火の鳥」を読んで改めて凄さを感じているところだ。

科学・哲学・宗教・歴史・バイオ・ガイア意識など、広汎な知識と想像力を縦横無尽に駆使して、古代から未来までをメビウスの輪のようにダイナミックに交叉する筆致は余人を持って替え難い・・・なんて素人が天才に対して評価するのは、とってもおこがましいのだが、

出来うれば、もう少し生きていただいて手塚版アセンションなどを描いてもらえれば、地球人ももっと多くの人が覚醒に向って歩を進めるようになっていたのではないか?小難しい理屈とか抜きで、スコーンと子供から大人まで魂を打ちぬく力を持ってして・・・

前回のカタストロフィーはノアの箱舟(水)だけだったが、今度は火・水と言われているので、水だけじゃなく「火の鳥」の出番がありそうなので。

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2007年1月29日 (月)

伊藤慶二氏の講演録

マクロビオティックマガジン「むすび」2月号に掲載されていたのだが、非常に示唆に富んでいるので紹介したい。

タイトルは「確実に病気をしない生活の仕方」・・・タイトルからしてちょっとヘン?確実にということは、100%病気をしないという意味だそうです。伊藤先生は50年以上、医療に携わっていて医者に成りたての頃、産婦人科をやっている時、奇形児(その頃は1%くらい)を産んだお母さんの食べ物に問題があることに気づき、それ以来正食に関心を持つようになったそうです。

その後、7回流産・早産で失敗した方が甘いもの漬けの方の食事を改善して、無事8回目で初出産に成功して、いっそう確信を得たことのなかで、

○体は常に正しく働く・・・自然から逸脱しない、できるだけ自然に沿った生活をしていたら、人の体は常に正しく働く、病気は偶然になるということは絶対にない。必ずなるべくしてなっている。場合によっては、その人に必要があってなっている。病気になる過程で、原因として圧倒的に多いのは食べ物と思いの世界~ガンのような命にかかわる病気は思いの世界も対応していないと、食べ物だけでは治らない場合が多い。

生命力が高まり、体の細胞がイキイキしてくると、人の体はますます早く正しく働く~そうすると病気やガンはスッと消える。また、人の体は常に正しく働くという「信念」をどれほど強く確信しているかによって、その人の病気の治し方の選択が全く変わる~そうかも知れないなー程度の信念だと、やっぱり薬をもらおう、医者にかかろうかということになる。~確実に治ると確信を持っている人は、そんなことはしない。

○生命力を高める4つの方法・・・①思いの世界 ②食べ物 ③生活の仕方 ④気功やヒーリング・浄霊など外からエネルギーをもらう方法

大事なのは食べ物と思い、あとのふたつは補助的なもの。まず、思いの世界は、その人が何を考えるかによって、脳の働く場所が変わり、それによって生命力が高まりもし落ちもする~欲と知識で肥大化した新皮質から、生命情報のある脳幹へと脳の働く場所が変わるような瞑想、あるいは神仏の正しい拝み方をすれば、脳幹の働きで体がイキイキしてくるし、スピリチュアルな能力も高まってくる。

○御法度の心にご注意・・・外側の新皮質が働く時は顕在意識といい、爬虫類的脳・脳幹が働くのは潜在意識という。脳幹がきちんと働くような状況にすると、生命力が高まるだけではなく、常に正しい判断、直感、ひらめきが得られる。そういう選択の仕方をしていれば、不幸になることは絶対にない。それをいつもトレーニングしてマスターしておくこと。日常での心がけ、生活の仕方がとても大事。

病気や事故なども、運がいいとか悪いとかではない、自分が悪い波動を出している時に、病気や事故を呼んでいる。脳の働く場所を変えるには、いちばん大事なのは、住む環境をある程度整備すること。住む場所がゴミゴミしたところではダメ。気のいい場所、いい波動の場所になるように切り替えていく。対人関係の整理は大事。

それと、憎む・ねたむ・そねむ・うらやむ・怒る・心配する・不平・不満・とがめる・疑う・迷う・のろう・イライラする・せかせかする~そういう御法度の心を起こさないように、起こっても引きずらないように、すぐ絶ちきる練習をする。御法度の心というのは新皮質がギラギラした状態で一番マズイ。

○正しく拝むと効果的・・・言葉というのはその人のスピリチュアルな表現なので、いつも正しい言葉を使う。そして感謝と畏敬の念を失わない。何事にも感謝することができたら病気は治るというのは本当で、思いというのは必ずカタチになるのでプラス思考をする。毎日を明るく楽しくおめでたく~次に大事なのは呼吸の仕方、速い呼吸はダメ、ゆっくりとした腹式呼吸。

いままでの臨床経験で、助かるはずのない人が生き返って来るという時に一番打率が良かったのは、神様仏様の正しい拝み方だった。瞑想はうまくいく人とそうでない人がいるが、神仏の拝み方は失敗が少ない~例えば祝詞やお経を上げるときのコツは気功と一緒で、調身・調息・調心~気が通るように背筋をピンと伸ばして、息をゆっくりと吐いていく。息を吐ききるというのも大事なポイント~その次に祝詞やお経をゆっくりと読む、息継ぎをなるべく少なくしていくと一息が長くなる~そうすると、脳の働く場所が外側から内側に移って来る。こうした行を毎日、朝起きてすぐと、夜寝る前にする。

○作り方で生命力が変化・・・同じ野菜でも、自然農法や無農薬で作っているものとスーパーで売っているものでは全然違う。生命力を消す化学物質と砂糖は危険~お塩は同じ自然塩でも、昔ながらの製法で塩化ナトリウムの濃度の低いものが良い。

○自分の病気は自分で治す・・・基本としては、生命力を高めてくれる穀物や雑穀を主にして、なるべく品数は少ないほうが良い、量も多すぎないほうが良い、どちらかといえば量よりも品数の少ない方が大事。「30品目を食べましょう」というのは、まさに「病気になってください」という強いアッピールそのもの。

それから、運動量をなるべく増やすこと。上半身と下半身の温度差をつける。冷えとり健康法といって、下半身をしっかり温める~とくにガンを治すには体温をいかに高めるかが非常に大事。

4つ目の、外からエネルギーをもらう方法は、時間がたつと必ず落ちてくるので、上がっている間に病気をサっと治すには効果的だが、それだけで病気を治すには無理がある~薬に頼るのもそうだが、他力本願よりも、自分でつくった病気は自分で治すというのが大事。

以上・・・今日は長文になったので、けっこう疲れた。来月号にこの続きがあるようなので、また紹介したい。大阪方面のお医者さんなのかな?こういうお医者さんが近くにあると心強いんだけどなー。

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2007年1月28日 (日)

困った時のひふみ頼み

困った時、迷った時には日月神示(ひふみ)に聞けば良いのに、つい自分の頭で考えてしまい余計にこんがらがってしまう。神示がストンと肚におさまってないのと、このところなんやかやと頭に詰め込みすぎて、消化不良になっていたのが原因かなと・・・

アンテナショップの実験を始めるにあたり、現実的な和、小さな和のみ考えていて、より深い和、大きな和を生み出すことも含めての実験であることとを忘れていた。

日月神示では、

和のないところ 天国ないぞ。 気の合うもののみの和は和でない、色とりどりの組み合わせ、練り合わせこそ花咲くぞ                                                                  宇宙のすべてがつながり 石でも水でも 草木でも 動物でも手と頭のようなもの                      和すには神をつうじて和す 神を通さずに神なくして通じるのが悪和合

はじめの喜びは食べ物 次は異性ぞ 溶け合うことによって喜びとなる 喜びは神                    まず自らと自らと、和合せよ                                                  同じもの同士では 和合ではない、違ったものが和すことによって 新しきもの生む                     天使は天と地の和合 プラスとマイナスと和合せねばならん                                 喜びの和合 溶け合う和合 神ある和合                                           こらえこらえているのでは 和合ではない いままでの和合はカス 悪和合

と、これを思い出してハタと気がついた。こらえこらえて和合(妥協)することも、一時考えたが、それはマズイという思いがあったので、違うとおもっていたものを排除しようと決めかけたのだった。それでもなにかシックリこなかった時、神示を思い出した・・・

そうだったんだ、違ったものを排除しようとしていたんだと・・・それでは真の和合ではない、経済的にも効率的にもプラスとマイナスと和合しなければいけない、そうなるにはどういうカタチが望ましいか?と問いの立て方が定まると、答えは一目瞭然。

この実験アンテナショップは、「こころと体の健康を売る店」それには、モノを売るだけの平面的な店ではなく、こころが元気になる、豊かになる、ワクワクするといった立体的な展開の場なんだ・・・目に見えないものも受けとってもらう、心と体のいい循環が生産者・流通・消費者の間でグルグルと関わりを深め広げながら・・・そして本番へと辿りつけたら、万事OK。

ということで、引っ掛かっていた部分がスッキリしたので、あとは具体的にどう融合させるか考えるのみ。

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2007年1月27日 (土)

迷妄の世界

現実的な世界だけに生きていた時は、迷うといっても右か左かどっちが損か得か、あるいは常識と照らし合わせて正しいか間違っているかくらいのことで終わっていたが、本質とか、真理を探求するに至ってからは迷うことも多く、かつなかなか答えが見出せない・・・。

ひとつ答えが見つかったと思ったら、すぐまた新たな疑問が湧いてきて、迷い道クネクネ(こんな歌あったよね)・・・以前からの疑問は「神一厘の仕組み」であり、自己称停止グループの言う「究極の解答」だが、これはまさに究極の疑問なので、解からずともそれに向って行く過程で丁度山登りと同様、高みに登っていくごとに見える景色が変わって来るのだろうし、誰に聞いても解からないテーマだから、解からないということに対して半ばあきらめというか、どこか委ねている気分なので迷うというのとは、ちょっとちがう・・・

なので、現実に迷ってることはといえば、究極と現実の狭間に起こることであり(すべてがそうだと言えるのだが、より究極に近い現実)・・・それは多くはエゴから生じる問題でもある。

エゴとエゴがぶつかって、問題が起こり、その対応にベストな選択をしようとする時、神様だったらどうジャッジするのだろう?って考え出したら右でも左でもOKという答えが帰ってくる・・・でもどっちでもいいその答えで、この現実の問題に対して本当に答えになっているのかな?って思うと、大体においてより現実的な判断をしたうえで決めてしまう。

・・・そして、その後で現実的な選択をしたっていうことは、究極に対しては足踏みをしたことになる?もっと現実から離れたほうへジャンプしたほうが良かったのかな?なんて迷いが湧いてくる。やっぱ、究極というのが明確に解かってないと判断できんよなと、さっき言ったことと矛盾するような思いがまたぞろ、出てきて堂々巡りをしてしまう始末。

いま、これを書いている瞬間も何を言いたいんだろう?と思いつつ・・・尻切れトンボのつぶやきで終わる。大体、仕事中にこんなこと考えていたらダメだよな。

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2007年1月26日 (金)

暴露ラッシュ

昨日は、歯が痛かったので珍しく誘いを断って真っ直ぐ家に帰って食事をしながらTVを見ていたら・・・

アパの女社長が泣きながら会見していた。耐震偽装問題では、きっこさんが早くから藤田東吾さんとのメールのやりとりなんかを紹介していたので、アパグループの悪行については以前から知っていたので、この女社長の涙を見ても可哀想だなんてちっとも思えず、藤田さんやったねってカンジでながめてた。

ちょっと前の宮崎県の談合問題にしろ、やっている本人達は今までもやり続けてきてなんてことはなかったので、まさか自分がバレルとは思ってなかったのだろう・・・今現在でも、日本のアチコチで利権に群がる連中がいままでOKだったから、これからもって思って悪行を繰り返している人たちも大勢いるんだろうな・・・

不二家のペコちゃんも今頃大泣きしてるんだろう・・・雪印事件のとき、不二家の人たちはどういう目で見ていたのか?マヒってのは恐ろしいね・・・普通に考えてヤバイ!とか思わなかったのだろうか?こういうアンポンチンの下で真面目に働いていた人達こそ大迷惑だよね。

それにしても、ボコボコでてくるねー・・・これからも膿みはドンドン出てきそう。以前はこんなにバレなかったのに何故?アパに関しては、やはりインターネットのおかげだと思う。きっこさんが叩きまくり、それで力を得た藤田さんが本まで出して、隠蔽しようとしてももうダメって利権集団も判断せざるを得ないところまで追いこんだから・・・。

だから、いまの時代は隠そうたってムリと観念して、みずから白状せい!そのほうが罪一等減じられるかもしれないし、再生にはやく着手できる・・・どっちが得かよーく考えよー♪

損か得かで考えるのもナンダカナーてかんじだけど、どうせ悪いことをやるんだったらねずみ小僧みたいにやって欲しいよねー。

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2007年1月25日 (木)

反省

このところの不節制がたたって、歯が腫れたり、先日グラグラしていた前歯が一本ポロッと抜けたりして、ますますご飯が食べにくくなったところに、友達との間でイサカイが起こったりしてちょっとブルーな今日この頃みなさんいかがお過ごしでしょうか?って、きっこさんのパクリから入るんだけど・・・

なんで、そういう気持ちになるかというと、日頃から相手を責めるな、裁くなとか、目の前に起こることは必然必要だから感謝してなどと、エラソぶって言っておきながら、イザ自分のことになると同じような反応をしてしまう・・・イイ年こいてまだまだだよなーとつい反省。

そもそも相手の気になる部分というのは、自己の投影というか、自分にとって気づく必要のあることを見せてくれている・・・そういう視点で振りかえって見た時・・・あったあった!それは「甘え」であり「依存心」というものだった。そう言えば、カミさんからもよく言われてたよなーっと。

頭山満も「ひとりでいても寂しくない男になれ」といっていたし、エハンさんも「独立個人」になろうと・・・甘えんタレでは、何事も成し得ない。自分で成すべきことを成したうえで、自然に融合してこそ1+1が3にも4にもなるわけで、ぶらさがり根性でくっついては自他ともにイイ結果は生まないと思う。

そういう意味では、イサカイもOKだったよなと、一晩過ぎれば思えてくるのだ。

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2007年1月23日 (火)

清富への道

今日は1月23日、ひふみの日にちなんで日月神示より「清富」について・・・

「生活が豊かになってくるのが正しい道ぞ。行きづまったら間違った道歩いているのざ」

「神と金ふたつに仕えることはできん。そのどちらかに仕えねばならんと説かしていたのであるが、それは段階の低い信仰であるぞ。影しか解からんから、時節が来ておらんから、そう説かしていたのであるが、この度、時到来したので、マコトの道理説いて聞かすのじゃ。神と金と共に仕えまつるのは、肉と霊とともに栄えて嬉し嬉しとなることぞ。嬉し嬉しとはそのことであるぞ。神と金と二つとも得ること嬉しいであろうがな」 

「清くして富むのがマコトじゃ。地も富まねばならんのじゃと申してあろうが。これから先は、金儲けばかりもできん。今までのような神信心ばかりもできん。神の道を進むものは、嫌でも金がたまるのじゃ。金がたまらねば深く省みよ。道に外れて御座るぞ。人は罪の子ではない、喜びの子ぞ」

「金が好きなら金を拝んでもよいのじゃ。区別と順序さえ心得ておれば何様を拝んでもよいぞ。金を拝めば金が流れてくるぞ。金を拝み得ぬイコジさが、そなたを貧しくしたのじゃ。赤貧は自慢にならん。無神論も自慢にならん。清貧は負け惜しみ。清富になれよと申してあろうが。清富こそ弥栄の道、神の道」

中矢伸一さんの解説によると、

神示によれば、身魂の磨けたぶんだけ、その人の徳相応に、おかげをいただけるようになっている。生活が苦しかったり、金に困ったりすることはまだまだ身魂が磨けていない証拠である。メグリを果たして神の正流を正しく受ける人は、たとえいやだと言っても分に応じた富は必然的に集まってきてしまう。道に従えば、意識しなくても弥栄えていくのがマコトの道である。

ということらしい。で、どうなのか?金に困っていませんか・・・どっちとも言えない。借金があるので困っているといえば困っているが、商売してれば借金も必要悪。ただ、新規になにかしようと思ったら金がないのがネックなので大いに困る・・・ということは、これからもっともっと身魂を磨いて必然的にお金が集まってきたらGO!ということなのかな。

金を卑しんだりはしていないが、金を拝んだりもしていなかった。新規に食のモデルショップやりたいんでお金が集まってきますようにと拝むべきかもしれない・・・肝心なことは、やはり「清富」という意味をしっかり掴んでからの事のようだ。                                                            

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2007年1月21日 (日)

地産地消

今日、古賀市の農業女性が企画した「あったらいいな、生産者と消費者のこんな関係」というパネルディスカッション形式の催しに参加してきた。

サブタイトルは「古賀市で取り組む地産地消とは」ということで、いまや「食」に関しては著名人になった西日本新聞社の編集委員・佐藤弘氏の講話を皮切りに、パネラーをまじえた討論がなされた。

メインテーマは、地産地消に対する認識を深めること。サブとしては、                                 ①「外国産有機、地域の農産物、どっちがいいの?」                                        ②「安心・安全のコンビニ、利用しますか?」                                             ③「こんな直売所あったらいいな」

なぜ、地産地消なのか?これが解かれば、外国産より国産、国産より県産、県産より自分の住んでいる地域(昔なら4里4方)のものを消費したほうがいいってことにおのずからなる。

身土不二と地産地消はほぼ同義語で、身体と土=環境は一体のものであるという意味だが、昔は交通手段が限られていたので、なにも意識しなくても結果的に地産地消になっていた。ところがいまや60%は外国のものを食べている。

腸内環境は、その土地の風土、微生物環境とリンクしている。熱帯にバナナがあるのは、体を冷やしてくれるからそこにあるんであって、寒い地方の人のためにあるものではない。

さらに、これだけ環境問題が悪化しているのに遠くからエネルギーを使って、汚染物質を垂れ流しながら運んでくるっていうのも非常にナンセンスな話しだし、

ここらで、気がついてみんな地元のものを食べようじゃないかと・・・そうすれば、その地域のお百姓さんもうるおうし、持続できる。中国産は確かに安い、けれど危ない・・・家族の健康を考えるならば、安全・安心な地元のしかも環境も保全できる有機農産物を買おうじゃないのと、こうなるハズだ。

このへんの理屈は解かっているんだと思う・・・が、しかし自給率は下がる一方。解かっていることと、そのとおり行動することとは別なんだよね。せめてこれからの未来を担う子供と、これから子供を産むであろう女性は、人一倍意識を持ってもらいたい。

このまま、安い外国産に頼りっぱなしだと、古賀市の農家も確実に衰退していくそうだ。もちろん古賀だけの問題ではなく全国的にそうなっていくのだろう。その時になって慌ててもどうにもならない、いまから地域の食は地域で守る、日本人の食は日本で賄というカタチに戻していかないとオオゴトになる・・・

時々、こういう話しを聞いておかないとすぐ意識がダウンしてしまうのが悪いクセ・・・なので、今日は地域の実態も垣間見えたし、それなりに有意義であった。

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2007年1月20日 (土)

魔方陣

魔方陣というのは、例えばタテ4マスヨコ4マスの桝目があったとして4×4=16の数字を桝目に順次埋めていって、タテ・ヨコ・ナナメの合計数が一致するような数字の配置をいう。

これをやって解かることは、ひとつでも数字の配置を間違うと、絶対にタテ・ヨコ・ナナメの合計数は一致しない。仮に16人でなにか始めるとして、16の役割分担を決める時、各人の配置をひとりでも本来の役割と違うポストにつけたとしたら、全体の完全なハーモニーは生まれない。

人体に例えると手は手の役割、足は足の役割があるということを魔方陣は教えてくれる。手がえらいのではない足がえらいのでもない・・・それぞれがそれぞれの役割を果たさないと完全な人体の機能が果たせなくなるということだ。

これを、64億の人体まで拡大して考えるとき、やはり一人でも違う桝目に配置してしまうと総合的な完成には至らない・・・逆にいうと、64億の人々それぞれが全て違う役割を担っているということ。ジグソーパズルのワンピースが欠けても完成しないのと同じだ・

そこに思いを馳せる時、自分なんか、とか自分くらいはなどと言ってはおれない・・・なにしろ一人欠けても総合的な完成には至らないのだから・・・誰がえらいのでもない、みんなが一人一人役割を負っている。カッコ良さそうなポジションとカッコ悪いポジションとどっちがいい?と聞かれたら当然カッコいいポジションに坐りたいよね。

それでみんながエゴむき出しでカッコいいとこを奪い合うようになっているのが、現在の地球人の姿だ・・・これを、各自が自分の坐る場所を認識してピタっと納まるべきところに納まったとしたら、その時が総合的完成のとき・・・ちなみにその坐る場所というのは決まっていて個人の意志では変えられない?

天命・運命の話しと同様、このへんの解釈は断定的に言えないが、なんか決まっていると考えたほうがスッキリするのだ。だけど、自分の役割というのがよく解からんという人が多いのも現実で、みんなそれを探しているんだよね。

こちらとて、同じ状況なのだ。

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2007年1月19日 (金)

食育のモデルショップ

理想的な食育の店ってどんな店?

生協の店でもなく、産直の店でもなく、自然食品店でもなく・・・・ようするに今までに無い店をつくりたい。そこに行けば、新鮮で安全なものが気軽に買えて、元気が出て、健康になって、幸せになる店。そこで、買うとその店につながっている良心的な生産者がうるおい元気が出る・・・お客も生産者もお店も田畑もトンボもかえるもみんな元気になる・・・その輪がドンドン広がり町全体が元気になる。

その渦を起こす源になる店。食育っていう狭い領域にとらわれず、集うみんなのイノチ輝く場・・・体の弱っている人よっといで、心の弱っている人よっといで、アトピーで、ガンで困っている人だれでもかれでもよっといで・・・

この店は遠くからモノを運ばない、その土地で生まれたものを基本に、クスリを使わない自然なものを扱い、この店で働く人は金の為に働かない、自分とみんなを幸せにするために働く人。本当の豊かさを知っている人、知らせる人でありたい。

ここにくれば、問題が片付く、ヒントが得られる、明るいあしたがやってくる。この店だけでは解決できない、だから食・健康・環境・心の専門家がこの店とつながっている・・・ポータルであり、百科辞典であるようなイメージ。

お客と生産者をつなぐ店・・・善良で良心的で本物のなかから、そのお客にピッタンコの商品をチョイスしてあげることのできる店・・・そのためには、膨大な商品のなかからいいモノを選び抜く眼力とお客さまひとりひとりのことをキチンと把握できるやさしい眼差しがないといけない。そうしてはじめてその人にとってのベストなマッチングが可能になる。だから猛烈に両者のことを知り尽くさねばならない。

つらつらと、書き連ねてきたけれど、これでもまだ理想とは言えないだろう。最初は稚拙でもいい、正直にやっていれば・・・一緒に理想の店をつくろうと、理想を求めて、やりつづければきっと役に立つ、なくてはならない店になっていく。そう信じて・・・昨日開設準備委員会みたいなものがやっとこスタートしたところ。

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2007年1月18日 (木)

サイババのメッセージ

自分が誰であるか?心ではない、肉体ではない、一時的に心と肉体をまとった永遠に存在しつづける霊である。

神への信仰を持って内なる自分を見つめ、そして神を知りたいといった強い熱望を持ちつづければ、自分が本当は誰であるかということを知り、そしてその本当の自分になれる。良心は永遠なる霊の反映したもの 良心に従うとき、考え・言葉そして行動は高潔で首尾一貫したものとなる。

霊的であるとは、あらゆる事柄に対して いついかなる時でも、自分の良心に従う勇気と決意を持つこと。そうすることによって 全て神とつながっていることが解かるようになる。我々は神の愛によってお互いに結び付けられている。

神への最高の礼拝は愛によってなされる。「全てを愛し 全てに奉仕せよ」

○神を信じなさい・・・何故ならば全ての人の中に唯一の神がいるから                           ○貧乏人・病人・困窮者に見返りや高名を期待することなく無私の奉仕をしなさい                      ○生活のなかに「真理・神の愛・正義・平安・非暴力」の価値を養い、皆の中にこれらの価値を奨励しなさい

エッセンスは大体以上である。この文は、実際にサイババにあって金の腕輪を物質化したうえで直接プレゼントされた青山圭秀さんの著書から引用させてもらった。

神の愛は見返りを求めない愛であり、無私の愛。これをどれだけ実践できるかが神との距離を近づける・・・サイババはそのモデルとして我々に見せてくれている・・・いきなりは難しいけれど、小さなことから、身近なことから、出来る事から実践するよう心がけていきたいものだ。

いわんや、この反対のようなことなど、決してしないように例え酔っ払ったとしても・・・懺悔、懺悔。

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2007年1月17日 (水)

食の陰陽

木花咲那姫(このはなさくやひめ)の神示より、「食の陰陽」について・・・

万物全て陰陽あり 陰陽ありて調和するなり                                             陰のみありても 陽のみありても成り立たず 二つで一つになる                                片方のみでは動き止まりて この世動かず 神は全てのものに陰陽与え 循環させられる                 陰陽の最も現われるもの 陰・女 陽・男なり それぞれが異なる役割もちて 二つで一つぞ                  全てが二つで一つなり

陰なるもの 植物・果実・穀物                                                      陽なるもの 肉類 肉は体に力を与えし 

肉体の陰なるものは 陽を食せよ 陽なるものは陰を多く食せば病癒さるる                        若き時は 陽の体質なるが多き 若き時こそ陰を食せよ                                 一般の常識の間違い そこにあり                                               年老いたからとて 陰のみの食事するなれば 力湧き出でず 弱るばかり                         活力不足し 老いもますのみ

中国医学にては 陰陽取り入れ役立てるなり されどいかに陰足りぬとて 陽足りぬとて 摂り過ぎるは毒なり 腐りとなり 体内汚して 病呼ぶらん

大切なりは 昔の教え守りて 腹八分、六分に留めることなり                                 さらに 食物に感謝なく食すれば かえりて毒となり 体穢さん                                 感謝捧げ 己にあう食材摂るがよけれ されど己にあう食材知るには、今の人間魂曇りゆけば そは困難        己を清め 高めゆくならば、自然に己にあいし食物口にするなり

以上です。

陰陽の理屈、 感謝して食べること、 食べ過ぎないこと、 その時々の自分の体にあったものを食べること、すべて納得なんだが、引っ掛かるのはやはり 陽=肉類 に関してのくだりである。

陰陽のバランスを取ることが、大切なのはよく解かるが、陽の代表選手としての肉類でバランスを取っていいものか?食べ過ぎなければよい?感謝して食べればよい?自分の体にあっていれば良い?

うーん、解からん。木花咲那姫の神示を信じなければいいじゃん!・・・であれば話しはカンタンなんだが、この神示なかなか、胸にささるメーセージ多いのよね・・・だから、うーんとなってしまったのだ。

やはり 一番ガチっと入っているのが、日月神示の「四足はダメ」なもんで・・・そことぶつかるのよね。

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2007年1月16日 (火)

いい出会い

人生のおおまかな流れは、あらかじめ決まっているのだという考えに同調しているので、会う人も丁度いい時期に出会うべくして出会うもんだと・・・そんなふうに思っていたら、

「古賀の食を考える会」に、来ましたよ、ニューフェースが・・・その女性は「オイルマッサージ」「ハーブ関連品の販売」を仕事にしてある。札幌出身で、今は九州に来て古賀の隣町に住んでいて・・・いままで「生ゴミリサイクルで野菜づくり」、足立育郎さんのところで波動のことを習い、オイルマッサージで母親のガンを治し他にも色々な経験を持つ強者なのだ。

話しを聞いていると、我々がこれからやりたいことをすでに経験済みの先輩であった・・・専門的な技術・理念・前向きな姿勢、苦労を乗り越えてきた芯の強さと優しさ・・・出会ったばっかりでちょっと誉めすぎとちゃうとつっこまれそうだが、オイルマッサージを受けに来るお客に対し「多くの人は病気を治してもらいたい、健康にしてもらいたいとやってくる、そういう人にまず聞くのが、健康になったら何したいって質問するの」・・・健康になるのが目的で、健康になったら何をするという目的を持った人が非常に少ない・・・

このセリフを聞いただけでもOKなのに、「病気は食の問題だけでは片付かない、心の問題のほうが重要だ」と・・・我が意を得たりというカンジ。おまけに名前が○穂子って来たので、やっぱ今年は米づくりやねっていうところまでいっちゃったよ。

日本人は、やっぱり米づくり・・・瑞穂の国の住人なんだから。友達も今年から始めるそうだし・・・。

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2007年1月15日 (月)

アーユルヴェーダ

アーユルヴェーダとは、「真理の全て」とでも言おうか、深いところは全く解かってないのだが、日月神示の世界に通じるところがあって、これを信じている古いインド人とならすぐにでも友達になれそう・・・

と、思ったのも、つい先日「自己称停止」のグループと一杯やったとき・・・というより、友達なんだけどいつもこの話になると必ずぶつかることが、「あんたは、自己称(おれ・私・僕など)を完全に止めきっていない、だから肝心のことが解かっていないんだ」・・・だから、逆にあなた達のほうがとらわれ過ぎている、だいいち「究極の解答」=これは名前のない、おっちゃんが言っており一応秘密の言葉なんだけど・・・

その解答に対して、こちらとしては、真理とか究極の解答なんてものは言葉では言い表せないと思うので、完璧に自己称を止めている3人に向って、おっちゃんの呪縛にからめとられてるのとちゃう?って言うものだから、3人から集中砲火を浴びるハメになるのだ。いじめられることは、最近マゾっ気がプチ入っているのでなんてことはないんだけれど・・・

そこで、ヴェーダだ。ヴェーダには開祖がいない、開祖や教祖より真理そのものが重要だというスタンスで、キリスト教のように「わたしによらずには、誰一人父の御下にはいけない」というイエスの御言葉によって、全世界をキリスト教に改宗しなければ真理に辿りつけないということになってしまうものとは根本的にちがう。

もともと「真理」というものはおっちゃんであれ、イエスであれ言葉で3次元仕様(オペレーションシステム)の人間に伝えることは無理だ。そして個々の宗教にスッポリ収まるようなチンケなもんじゃない。それを、おっちゃんが究極の解答を教えて、ウンそうだ!これが真理だと解釈してそれ以外の考えを排除するようなら、それは宗教だ、自己称教と言ったらいい。

もちろん、個々の宗教が真実を語っていないとは思わない・・・イエスが、エホバが、仏陀が言われていることは素晴らしいことがいっぱいだ。ただ、言葉の限界というか、言葉で表現したら受け取る側のレベル、器でしか汲取れない。

たとえば、イエスが自らを「わたしが真理である」という時のわたしは、イエス本人のことと受け取ると、イエス以外のことを信じている人達は真理を掴めないことになる。イエスがいう「わたし」は全体=神=普遍的なものである。だから、イエスも仏陀も日月もヴェーダも同じことを伝えている・・・表現方法が違うだけで・・・だから表現方法はひとつの個性なので自分の好みで選べば良い・・・自分の好きな宗教が最高で他は違うという話ではない。

おうおうにして、受け取ったアンポンチンが勝手に都合良く解釈して教義やらつくるからややこしくなる。したがってイエスも仏陀もダイスキだけど、宗教はキライだ。そこいくと、日月神示もヴェーダも教祖がいない、お金もいらん、一生楽しめる(だって、究極の答えを言葉としては教えていない)

ちょっと、今日のは自己称グループに対するウサ晴らし的なカンジになったけど、決してこのメンバーがキライなわけではなく、むしろ誘われたらホイホイでかけていく・・・ようするにこんな話しをウダウダするのがオモシロイのだ。

って自己称停止のことを知らないひとにとっては、なんのことやら・・・・。

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2007年1月14日 (日)

さすが、女性パワー

昨日は、「大地の会」というマクロビオティックの料理教室を核としたグループの新年会に呼ばれたのでノコノコと出かけてきた。

ここのリーダーは、数年前からマクロビ料理教室を始めてから、いわゆる「食育」問題に精力的に取り組んでいる。普段は控えめかつ、ニュートラルなかたで非常に好感が持てるが、イザなにかやる時は必ず目標どおりの結果を残す「心・言・行」の伴った女性である。

新年会ということで、各自の今年の抱負を語ったのだが、やはり出色の抱負はリーダーからのものであった。

年の始めにフっと脳裡に浮かんだらしい・・・「今年は10000人を集める食の祭典をしたい」ちょっと照れながら言ってたけど言うことが太い・・・男ならこういう発想は出てこない。なにしろこのグループより数倍デカイ団体「福岡の食育ネットワーク」のリーダーが、今年総力を挙げてビッグイベントをやるぞ!というのを、前々日の新年会で聞いてきたばっかりで・・・ほう、そうか大したもんだなーと思っていたのに、なんだかそちらがチッポケに感じてしまったのだ。

何度も言うけど雰囲気はとても控えめで謙虚なかたなんだよね・・・見るからにパワフルで男か女か解からんような女性が言ったなら素直には聞けなかったと思うけど、このかたが言うと肯定的に受けとめてしまう。

それにしても、なぜ10000人かというと、これくらい集めないとムーブメントは起こらないから・・・ということだけで、現状から積み上げてなんとか実現可能性があるから10000人ではない。こういう発想は男に多い、女性はシンプルだ、理屈抜きでスコーンと・・・

ちなみに当方の抱負は・・・TVゲームショップの軒先で「古賀の食を考える会」のアンテナショップ構想の実験として地元の有機野菜を売って感触を確かめて見たい・・・というものだ。ナンダこの違いは!○○タマぶらさげとんのか!と言われそうな・・・

つねづね、女性のパワーは凄いと知ってはいたが、恐れ入りました。

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2007年1月12日 (金)

ひょっとしたら

ずっと、引っ掛かっている日月神示の「神一厘の仕組み」の意味と言うのは、ひょっとしたら・・・

いままでは、その時が来ないと明らかにできない・・・つまりタイミングの問題。もしくは、今の言葉では言い表せないもの、だから心で受け止めろと・・・

でもそうじゃなく、明らかにしない理由は敵に知られるとまずいので隠しておかねばならないというのが、本当の理由じゃないかと、そう思えてきた。

敵というのは、言わずと知れた「イシヤ」のこと。言い方は色々あるけど・・・闇の支配層、シークレットガバメント、世界統一政府などなど・・・とにかくこの連中に奥の手を知られるとドンデン返しができなくなるから、その時が来るまで秘密にしておかなければならない。

と、ここまで書いてきたが、全然意味の中身に触れていなかった、単に隠す理由を述べたに過ぎない・・・けれど、今から友達が新年会の誘いにくるので、時間切れ・・・もっとも時間があっても中身については解ってないので 結局尻切れトンボで終わっちゃうか・・・。    

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2007年1月11日 (木)

人を呪わば穴二つ

「人を呪わば穴二つ」作用・反作用の法則のことを言ってるんですね。誰かに向って恨みを込めて「死ね」という念を発すると、ブーメランのように自分のところに戻ってきて自分も死ぬ・・・その人と自分の穴=棺桶が二つという意味。

自分の知り合いで、ガンで妹さんを亡くした人がいる。マクロビオティックの指導にもとづいて、それを信じて頑張ったけど不幸な結末に終わった・・・結果オーライだったらなんの問題もなかったけど、妹思いの兄貴としてはこの出来事を消化できずに、間違った方向へ導いた人を恨みに思っている。

知り合いとは言っても、一対一でゆっくり話し合ったこともない、お互い顔を知っているという程度なので、こちらから直接なにも伝えてはいない・・・ただ、今回のケースで考えさせられることがあったのは、冒頭の諺のこともあるが、今回の出来事を是非、霊的に解釈して欲しいということだ。

霊的に考えるという思考法に馴染みのない人に、こんなことを言うと怒りの火に油を注ぐことになるだろうが、相手も自分も赦して一日も早くラクになって欲しい・・・とはいっても、タイミングが来ないと解らんものは解らんで終わってしまうので、いつか二人でそういう機会が来ればきっちり思いを伝えたいと思う。

現実的にとらえた場合の今回の問題点は、マクロビオティック的なやり方で治りますよって言いきって、それを信じてそのとおりやったのに治らなかったということ・・・この一件以来、自分は食養だけではダメという考えがますます強くなった・・・「食」以前に心の問題を解決しないと、というか「食」と「心」を両面きちんとアドバイスできる人がいないと、一人で難しいならば、もう一人と連携して両面をカバーできる体制を取るようにしないと無理だと・・・・

それと、知識・経験だけでもダメかなー、死と隣り合わせの人にどれだけ向かい合うか・・・多くの相談者のうちの一人というとらえ方でなく、その人、一人とどれだけ肉迫できるか・・・

言うは易し、でもやるのはねー・・・実際、こちらはなんの経験も持ち合わせてないし、ただのつぶやきで終わらざるを得ないのが、チトくやしい。

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2007年1月10日 (水)

張り倒せ

出掛けに、チラっと藤原正彦さんがTVに出ていたのを見た。全部は見てないけれど、多分子供の教育に関しての質問に答えるかたちで、

中・高校生は別として初等教育の間(小学高6年間)は、「理屈抜きで悪いことをしたら張り倒せ!いちいち説明などする必要はない」と語っていた。自分の子供達もずいぶん張り倒してきたとのこと、そのかわりたまに本質的にいい事をしたときは、徹底的に誉めてあげた・・・たとえば、御年寄りに席をゆずってあげるとか・・・

きちんと誉めてあげれば、張り倒された痛みもいいかたちで心に染みていき、大人になってさまざまな試練に出会っても、誉められた記憶が力となって乗り越えていける・・・確かこんな話しだったと思う。

張り倒さねばならないことの第1は、卑怯なことをしたとき、第2は、思いやりのないことをしたとき・・・卑怯なことの最たるものは、弱い立場にいる人を、みんなで寄ってたかっていじめること・・・こんなとき大人は張り倒さねばならない・・・それに対して文句つける親がいたらついでに親も張り倒す必要がある。

藤原正彦氏の父親は「八甲田山 死の彷徨」の著者の新田次郎・・・若い時、この本にふれリーダーシップのあり方を学んだ記憶がある。藤原正彦氏の「国家の品格」は昨年読んだが、今日の語り口同様、非常に切れ味のいい日本男児として忘れかけていた魂にガツンと喝をいれられたような・・・

少子化も影響しているんだろうね、一人っ子を大事に大事に(大事の意味が違うっちゅうねん)甘やかして、結果ヒヨワな子をつくっちゃった・・・いっぺん谷底に落とさにゃイカンってば。

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2007年1月 9日 (火)

サルの成人式

昨日、友人が古賀市の成人式に参加しての感想・・・あれは、人間の成人式じゃない、サルの成人式だ。イヤ、猿以下かも知れないといって嘆いていた。

話しを聞くと、毎年TVで報道されているまんまのことを生で見ただけのこと・・・だけのことというのはこっちも既に感覚が麻痺している証しだが、キンキラ袴に茶髪にピアス、女の子は着物を着て煙草スパスパ、男はシャコタンの車で運動場をブローンブローーン・・・浮かれ騒ぎの乱暴狼藉・・・見なきゃ良かった、これじゃー日本もお終いだと・・・・

うーん、どうしてこうなったのか?自分は、以前知覧の特攻の基地を観に行ったとき、人生最大の大泣きをしたことがあるが、僅か7~80年前同じ日本人で同じ位の年頃の若者が日本国の為に自らの命を花と散らした・・・「天皇陛下、万歳」と日本国のために犠牲になってくれた、そのお陰で今日がある。

いつもいうことだけど、日本人がかつて持っていた精神性の高さに脅威を感じた闇の支配勢力によって、マスコミの情報操作がなされマインドコントロールされた結果、日本人から精神性の気高さを失わされた。彼らが作った虚構思想にかぶれた日教組及び配下の教員が連中に操られている自覚もなく、天皇を批判し間違った教育をしてきたのではないか?

天皇=日本人全体・・・なので、天皇を批判することは、自分も含めた日本人全体を批判することになる。中心を尊敬しないから、親を教師を尊敬しなくなる・・・天に唾したからこうなった。

サル以下の成人式の惨状だけでなく、今社会で問題となっている出来事の根っ子は、我善し・間違った自由、平等・・・その奥にある中心に対する崇敬の念の滅失があると思う。

だから、今の若者だけを批判しても始まらない、親および教師、社会の反映にすぎない。戦後、経済復興に邁進して世界有数の繁栄を手にしたものの、大事なものを置き忘れてきたツケが露呈してきた・・・因果応報ってことだよね。

じゃーどうするかってことだけど、独断と偏見を省みずに言わせてもらうと、やはり、タテに一本バシッと筋を通すこと。それには日本国の成り立ちにまで戻る必要がある・・・つまり由緒正しい神道の復活こそ急務ではないかと考える。

世界の雛型と言われる日本、かつてアインシュタイン博士も絶賛したという日本の文化、家族制度・・・失われたものをひとつひとつ紡いでいくしかない・・・それは我々一人一人の意識を中心に真っ直ぐス直に向けることからだと思う。

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2007年1月 8日 (月)

調和

設定はどうでもいいのだが、仮にあなたが誕生日だとして、お友達がお祝いをしてあげるから遊びにおいでと誘われた・・・予定通りの時間に友達の家に着いてテーブルに向うと「おめでとう、上等のステーキを奮発したわよ、さあ召し上がれ」

で、あなたは最近穀物菜食に切り替えていて肉類は一切絶っていたけれど、友達はそうとは知らず喜んでくれるものと思って用意してくれている。

ここで、「調和」という切り口を頭においてこの場をどう対応するか?                                ①折角、自分の為に用意してくれているので、肉食の是非はおいといて喜んでいただく                     ②丁寧に今の自分の考えを述べ、辞退する                                                   

こういう場面はけっこうあると思う・・・で、自分はいままで①を選んできたことが多かった。やはり折角時間もお金もかけてくれた友達の好意を拒否すると調和が崩れると思っていたから・・・

でも、本当は②のほうが正しいのだと思う。キチンと説明をするのは面倒だし、うまく説明できなくて憤慨させるかもしれないけど・・・で、さらに中矢伸一的に言うと、自分と友達という人間だけの調和を考えるだけではいけないと・・・牛の立場はどうなるのかと、人間同士はうまく調和がとれたとしても牛である自分は殺されてるんだゾと・・・人間だけじゃなく、牛まで含めて3者の調和が取れなくてはいけない。そこまでトータルで考えたうえで友達が納得いくような説明をしなければいけないと・・・

牛はすでに殺されてるし、いまさらなーという気もしないではないが、友達も納得すれば次回は肉はないだろう。そんな人がドンドン増えれば肉屋も肉は売れないし商売替えをするようになり、しまいには肉屋がなくなる。肉屋がなくなれば牛も殺されなくていいし、意志の弱い自分も肉を食べなくなる。

結局、調和ってことを考えようといっときながら、手前勝手な結論に持っていこうとしている自分は不調和なのかな?

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2007年1月 7日 (日)

日月神示的マクロビオティック

日月神示には、しばしばイシヤというのがでてくる。これはフリーメーソン=闇の支配勢力と解釈されていて、彼らは日本民族を世界最強の強敵とみなしており、そのため日本人を骨抜きにするため綿密な計画を立ててきた・・・3S(スクリーン・スポーツ・セックス)政策がその大きな柱だが、もうひとつ大事な作戦として「食」による「獣化計画」というのがある。

食の乱れが体を蝕み、さらに魂が穢れ霊性が落ちる。

アフリカやアジア諸国で飢餓に苦しむ人達を尻目に飽食・美食・食べ残しをやりっぱなしにやっているのが我が日本の姿・・・

日月神示では、「四つ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ」

と、述べられておりこれが日本人の正しい食べ物である。五穀というのは、米・麦・粟・豆そして黍あるいは稗と言われている。おおまかに米と雑穀でOK、それに野菜と海藻。魚は丸ごと食べられる小魚くらいまでは、いいのかな・・・

日月神示に興味がない人でも、マクロビオティックをかじった人なら結論は同じところに行きつくのだが、食養としてとらえるか、霊的にとらえるかのちがいとともに、その背景にある大和魂をグチャグチャにしようというたくらみまで知ってしまったら、即刻肉食禁止しかない・・・じゃないと獣になっちまう。

ああ、それなのにいまだに完璧には肉食を止めきらない・・・なんちゃってな自分、意志の弱い自分、周りに合わせてしまう自分・・・本気度がまだまだじゃーーー!。

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2007年1月 6日 (土)

どっちでもいいやん

最近、ちょっと気持ちが楽チンなのは、どっちにころんでもOKという気持ちになれているからだと思う。

例えば、今年の初売りは大ゴケだった。今までだと、「やばい、支払いできねーよ」「アチャー、これからどうなるんだよー」などと、へこむところだが、今は「もっと苦労しろってことやね、それが自分にとって必要なコトなんやね」「TVゲームショップに早く見切りをつけろってことか?」などと、それはそれでいい方に解釈できるので、数字が良かろうが悪かろうが、どっちにころんでもOKなのだ。もちろん良いに越したことはないんだけど・・・

思い通りに行かないのは当たり前のことで、スイスイ楽チン人生で一生終わったら折角この世に学びに来たのに学べるチャンスが少ないわけで、そんな効率の悪いシナリオを自ら描くわけない。だから、なるべく多く学べるように落とし穴も掘り、壁にもぶつかるよういろんな山あり谷ありの仕掛けをつくっているわけだ。

そう、自分で描いたシナリオどおり生きている・・・なのに、それに文句を言っても始まらない。こういう考え方が正しいかどうかは解らない、だけど楽チンになることは間違いない。

ただ同じような状況が長く続く場合は、そのステ-ジでの正解を得ていないわけなので、視点を変えて問題を解かねばならない、解くかない限り次のステージには行けない。

どっちにころんでも、早くクリアしても時間かかっても、この世に学びに来ているという目的には合致しているので悩むことはない・・・自分で仕掛けた本当の問いの意味を掴むことがクリアのコツかな?

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2007年1月 5日 (金)

忘己利他

もう懲りた、じゃなく忘己利他(もうこりた)。伝教大師の言葉を今朝の番組で瀬戸内寂聴が色紙にしたためていた。

自分のことは忘れて、他を利する・・・なんかちょっと、無理を感じるけど寂聴くらいになると自然体でできるのかな?こちらとしては、「己を活かし 他人も活かすのが天の道」のほうが無理がない。もっとも自己の究極は自他一体の世界なので自分も他人もないといえばない・・・だから、どっちでもいいのかも。

まーそれはおいといて、寂聴さんの話を聞いていると「なんて素直な方なんだろう」っていうかウソのない生きかたをされてきたんだなー・・・そのとき、そのときの自分にウソをつかずに一途にやってこられたというのがよく解る。

2?才のとき、夫と娘を残し家を飛び出したこと、51才のとき出家したこと・・・あのときは正気じゃなかった、だから出来た。いろいろな悩み多き人の相談を受けてしんどくないか?「もう正直メンドくさいわ」ってなぐあいで、思ったまんま表現し、しかしあらゆる人の悩みを受け入れて元気にしてあげている。

なんか頭で考えて話しているというより、天からのことばのメッセンジャーみたいなカンジでパッパっと・・・その時は己を忘れているんだろうな。先日の日野原さんといい寂聴さんといいス直に生きている人は若くて元気がいい。

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2007年1月 4日 (木)

神の激励

日月神示より、

因縁ある身魂が集まってきて 人のようせん辛抱して 世界の立替立て直しのご用致すのであるから 浮いた心で参りてきても御役に立たん、邪魔ばかりじゃ。                                     因縁の身魂はどんなに苦しくても 心は春。因縁の身魂はどうしても改心せねばならんのざから 早う改心せよ 人のミタマによって 役目違う 手は手、足は足 なにもかもマゼコゼにやるから結びつかんのじゃ

生めば生むほど、自ら新しくなり、大きくなる                                              行き詰まりがありがたいのじゃ 進んでいるからこそ 行き当たり行き詰まるのじゃ 省るとき与えられる さとりのとき与えられる

生むと申すことは、自らをよりよく生長さすこと。 ひとつ生めば 自らは一段と上に昇る。産むことによって平面から立体になるのである。自らが生んだもの、自ら涌き出るものは、いくら与えてもなくならんぞ 与えよ、与えよ、与えてなくなるものは、自己のものではない。

信じあう一人ができたら ひとつの世界を得たこと。

という、神からの激励である。浮いた心できても役立たず、邪魔やから来るなってキビしいお言葉もあるけど、そんなこと言わんでかててーっとお願いしよう。早く改心するから・・・。

役目は自分では決められないけど、どんな役でもいいからかてて・・・ねっお願い。

ちなみに、参加資格は、

そなたが神つかめば、神はそなたを抱くぞ。神に抱かれたそなたは、平面から立体のそなたになるぞ。そなたが有限から無限になるぞ。神人になるのじゃ、永遠の自己になる。他の為に行ぜよ 自己以外の為に まず行ぜよ。奉仕せよ。

とある・・・これは解りやすいよね。神人になるのはメチャクチャ難しいけど、他のために行ずることはできないことはない・・・それをずっとつづけてさえいれば、そこに近づくし参加もできる。一足飛びは無理でも一歩一歩ならできる。

つづけて、

一人一人は力弱くても ひとつに和してくだされよ 二人寄れば何倍か 三人寄れば何十倍もの光でるぞ それが天国のまことのやりかた。

ということで、一人一人因縁のある身魂は神からも激励されながら、それぞれも励ましあいながら大転換の時代に生まれたことに感謝して偉業にチャレンジしましょうねっ! 

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2007年1月 3日 (水)

正しい生き方

船井幸雄がいうところの、正しい生き方・・・

①世のため、人のためになることをし、ならないことをしない                                   ②他者を脅す、心配させる、不安がらせるのではなく、安心させ、希望を持たせる                        ③こだわらず、差別せず、執着せず、心配せず、気にせず、あるがまま成るがまま生きる                     ④地位、身分、比較、競争、嫉妬と無縁になる                                          ⑤単純、共生、調和、自由に生き、長所を活かして生きる                                    ⑥本物とつきあい、本物の人間を目指す

彼が言う本物とは、蘇生化させるもの・安心安全で害を与えないもの・経済的効率的なもの・今後の決め手になるもの・・・本物の人間はそれらを生み出す人ということになる。

ついでに船井幸雄おすすめの本物及び本物の人として、

ディクシャー(カルキ・バガヴァン)、マイナス水素イオン(及川胤昭)、グラハム・ハンコックの研究・ゼロウエーブ理論(テレンス・マッケナ)・ルーツファインダー(神坂新太郎)・超ミネラル水(野島尚武)HADO SCAN(江本勝)等をあげている。

他にもEMの比嘉氏や本物研究所の今尾氏にも注目しているとのことだが、過去に船井氏おすすめの技術・人で倒産した人もいるので、うのみにしないほうがいいと思うけど、おおむね納得がいっている。

当方が考える正しい生き方の根本は、根源に対して素直に生きる(創造主のモノサシに沿って)こと・・・あとはそのあらわれにすぎない。

強く意識していないと、すぐ正しくない方向に流される・・・いっぱい流されてきたよなー。

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2007年1月 2日 (火)

恐るべし95才&100才

朝、仕事の出掛けにTVを見ていたら、しいのみ学園・曻地(しょうち)園長(100才)と、聖路加病院・日野原理事長の対談があっていた。

お二人とも、現役でバリバリ仕事をしておられ、身のこなしも語り口もとても95や100才とは思えない。なんでそんなに元気なのかと問われて、夢も持つこと、大きなテーマに取り組むことと言ってあった。

お二人から見たら団塊世代などションベン小僧くらいのもので、これでリタイアじゃなく、これから新しいことに取り組むべきだと・・・曻地園長は、ちょっと前から中国語の勉強を始めたり、日野原理事長は新老人対象の新規事業を始めるなど、常に前向きだ。 曻地園長曰く「99才までは、助走。100才が本番」だって。ブッタまげるよね・・・

毎日の生活は、普通の老人とはまったく違っていて通常の仕事以外にマスコミ取材・講演活動・著作etcとボケるヒナがない・・・意外だったのは、食事内容で牛乳は飲むは、動物性もOKでマクロビオティックなど、どこ吹く風といったカンジ・・・こういう方を見ていると、こまごました食事法なんてどうでもいいとは言わないが、それより「氣」とか、「理念」「使命感」さえしっかりと持っていれば、病気なんか寄せつけない生き方が出来るのかなと思えてくる。

人は夢をなくした時から老いが始まるのか・・・このお二人に老いはない。正月草々なんかハッパをかけられたようで・・・。

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2007年1月 1日 (月)

2007年の幕開け

今年は重要な年になりそうな予感がする。

団塊世代のいわゆる2007年問題とかいうのではなく、もっと深いところでのターニングポイントになりそうな・・・気づく、気づかぬは別として。西洋の時代から東洋の時代へというのももっと顕在化しそうだし、物質優先へと振れすぎた振り子が、精神性を取り戻し、時間の加速化とともに「なにか、ヘンだぞ、このままでいいのか?」と感じる人の割合が増加しそうな・・・

とはいっても、表面的には大きな変化はみられないのかもしれない。ノアの箱舟のときも散々警告はあってたのに、殆どの人は従来通り享楽にふけっていたのだから・・・・こういうことは臨界点に達したら一気にドーンと変わるものだからと理解している。

精神論じゃなく、クールにみてもこのまま持続できるわけがないと見るのが順当だろう。それに対してただ、傍観者を決め込むか、自分なりに出来ることに着手して皆と手を携えて変えて行こうという立場を取るか・・・後者を選ぶ人が増えれば持続可能って言うだけの話。

選択するのは自分、自由に選択できる。

年も改まったし、気合を入れて今年一年、一歩一歩前進あるのみ。

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