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2007年4月29日 (日)

畑開き

食育を考える会の共同農園「わくわく農園」が、今日からスタート。

今日来れたのは、男5人で5畝程耕してかぼちゃが植えられる準備をした。久しぶりの畑仕事であり、天気も良かったので5~6時間の農作業が凄くヘビーで完璧にばてた。昨晩は今日のことがあるので、お酒も12時前に切り上げて臨んだからなんとかなったものの、いつものような二日酔い状態では仕事にならなかっただろう。

草刈機や管理機といった機械があったので、とりあえず本日予定していたところまでは終わらせることが出来て、ひとまずOK・・・残りの5畝は、各人が好きに使えるフリースペースなので、次回元気が残っていたら、大豆と雑穀は植えたいなと思っている。

今回は、経験者がひとりいてくれたので、スムーズに運んだが、次回は来れないようなので、素人ばかりでなんとかやるしかない。前回予定していた畑開きの日が雨にたたられ、今日はなんとしてでもこの段階まではやっつけておかねばならないという思いが強く、まったりと楽しんでという雰囲気とは程遠かったが、次回はもっと楽しみながらやろう・・・じゃないとソッコーくじけてしまいそう。

しかしながら、ひさしぶりの農作業はやはりいいもので、なんというか心地よい充実感を感じている。さて、これからどうなるか・・・わくわく朝市で売れるような状況になったら、俄然楽しさが増幅してくるのだろう。

農園参加者も募集しているので、お近くのかたは、是非一緒に汗を流しましょう。

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2007年4月28日 (土)

妻との修復

月間「現代」5月号・・・嵐山光三郎の「しょせん夫婦は薄皮一枚」最終回を読んだ。これがけっこう面白い。

夫婦には三つのタイプがある。①仲の良い安定した夫婦②破綻して修復不可の夫婦③破綻寸前で首の薄皮一枚でつながっている夫婦~①②は正反対に見えつつもじつは同質であって、一見仲の良い夫婦がさっさと別れて「ずっと昔から仮面夫婦でした」などと言ったり、あるいは②の破綻した夫婦が、根が深いところで深くつながっていて、憎しみながらも仲が良かったりする。夫婦には当事者でなければ理解しえないジグソーパズルみたいな関係があり、バラバラなくせに一枚の絵に合体する。

せんじつめれば、殆どの夫婦が③首の薄皮一枚でつながっており、ここに夫婦の妙がある。男と女が結婚すれば、なにかと問題をかかえるようになり、波瀾含みで離婚しない夫婦は当人でさえわからぬ「見えざる念力」で結ばれ、歎きながらもこんがらがった不条理を愉しんでいる。

戦後の無頼派作家とよばれた太宰治、坂口安吾、織田作之助、壇一雄といった作家たちの波乱万丈生活は、その根底に「妻恋い」志向があった。家庭をかえりみずに放蕩しつつも、見かけとは裏腹に愛妻家で、ことあるごとに妻との修復を考えている。空漠を生きる自己検証として、意図的にメチャクチャな人生サーカスを演じていた。

どれほど、かわいらしい娘でも、結婚して7年たつとおばさんになる。14年で妖怪、21年で鬼婆になり、28年で超獣となって、それ以上たつと手のつけられない神様となり、これを俗にカミさんという。

四人の無頼派作家のうち、一番早く死んだのはオダサクこと織田作之助で34才で夭折した。一枝という妻がいたが、オダサクが31歳のとき、子宮ガンで死んだ。「夫婦善哉」が売れて、迷惑をかけた妻にようやくこれからというときに死なれた。結婚して5年目のこと・・・

一枝が死んだとき、オダサクのココロも死んでいたのだが、世間にはダメ男好きの女がいて、女優志願の輪島昭子が近づいてきて同棲した。オダサクと暮らして、おたがいにヒロポンを打つうち、自分もヒロポン中毒になってしまった。

昭子は献身的にオダサクにつくし、看病に努め、死を見とったが、正式に入籍しなかったため、織田の遺族から冷たくあしらわれ、一切の財産にも権利なしの念書にサインさせられた。葬儀には太宰治がきて追悼文を仏前に供えた~織田君は死ぬ気でいたのだ。かくべつ深い付き合いがあったわけではないが、織田君の哀しさを、たいていの人よりも、はるかに深く感知していたつもりであった・・・と書かれていた。

「織田君の哀しさ」とは、オダサクが妻一枝を喪ったことである。この年、太宰は妻子と別居して、愛人と暮らしており、太宰もまたオダサクと同じ状況にいた。

オダサクは、亡妻一枝の骨がいとおしくて、身辺から離せず、昭子と同棲してからも持ちつづけ、かつ机の上にも一枝の写真を置いていた。昭子はこのことが頭から離れず「やっぱし私と別れて、死んだ嫁はんのところへ行ってしまったの」とよびかけた。

男は一度、自分の籍に入れて同姓になった女が忘れられない。これは籍という制度が持つ魔力なのだ。結婚した女の姓が自分と同一になるのは、肉体的快感とは別次元のエクスタシーである。女も同じであって、一枝は織田と一体になりたかった。織田姓になりたかったのに一枝の骨を抱いて離さぬオダサクの「妻との修復」がゆるせなかったのだ。

では、一枝が長生きすればどうなったか、と考えると、これはけっこうこわい。ダメ夫につくした妻は、晩年は猛妻になる。じゃあ、と考えると答えはひとつ。妻が若死にするしかない。一枝はいいときに死んだ。さらにその上に行く為には、婚約中の女が死んでしまえば良い。清らかな思いでだけが残り、これを「寸止めの人妻」という。堀辰雄の「風立ちぬ」のモデルとした矢野綾子がそのひとり~「風立ちぬ、いざ生きめやも」これはあらゆるおやじが若き日々に夢見る「愛の生活」であるが、薄幸の死を遂げずに長生きしていたら恋愛小説としては成立しない。

このほか、「婦系図」の泉鏡花を理想的夫婦として紹介し、山内一豊の妻をでっちあげの美談として、実際は金銭欲が強く、ケチで評判が悪かった~夫をしかり自分の思うまま操縦した教育妻であるとこきおろしている。

歴史上、「人妻のカガミ」としてたたえられた女性は、まず「一豊の妻」系といってよく、評判は、実像の反対であるから信用ならない。

最後は、全国のおやじ諸君に妻との修復を祈る・・・・と結ばれている。

我が家も典型的な薄皮一枚夫婦と言える・・・一緒になって35年、過去に危機は何度もあった。寸止め夫婦とも言えるので、余程 「それを言っちゃーオシマイヨ」という一言には注意をはらわねばならない。熟年離婚とかもあるし・・・どうみてもカミさんのほうがキップがよくてこちらはメソメソ系みたいなので、捨てられないように。

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2007年4月27日 (金)

団塊世代のセカンドライフ

堀田力氏がすすめる「団塊世代のセカンドライフを充実させる10か条」

1、したいことを持つ                                                                  2、人の役に立つことをする                                                            3、人に感謝する                                                                    4、配偶者と語らい、楽しむ                                                             5、楽しい仲間を持つ                                                                  6、資金計画を含め安心できる人生設計を立てる                                               7、おいしいものを食べ、飲む                                                           8、体を動かす                                                                      9、世間体にとらわれない                                                            10、いつ死んでも悔いのないように暮らす

と言っている。おおむね異論はないが、6、7はあまり重視していない。それよりも、粗食にして足るを知る精神で、PPK(ピンピンコロリ)と行きたいもんだ。お金は、人が困っていることを解決してあげたり、喜ぶことをすれば結果として生活に困らない程度には入ってくるでしょ。

注意すべきは、いつまでも明るく元気にお酒が飲めるよう、節度を持った飲み方を覚えること・・・ブレーキがなくてアクセルだけみたいな飲み方でここまで来たけど、流石に最近は翌日のダメージがきつくなった(今日もそうだが・・)友達からも注意されてるし・・・。

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2007年4月26日 (木)

五戒

初期の仏教徒が日常的に守らなくてはならない規範のことを「五戒」という。

①不殺生・・・生き物をいじめたり殺したりしない。                                               ②不偸盗(ふちゅうとう)・・・盗みをしない                                                       ③不邪淫・・・不倫をしない。出家の場合はいかなる異性ともHをしない                                       ④不妄語・・・うそをつかない。有言実行                                                   ⑤不飲酒(ふおんじゅ)・・・酒を飲まない

5番目の不飲酒だけは仏教独特のものらしい。厳密な意味でこの五戒を守っている人はこの世の中にどのくらいいるのだろう。昔は全部×(さすがに②はしていない)だったけど、いまは⑤以外はOK(④の有言実行は?だけど)(①もごきぶりは殺す)

昔のお坊さんもいい加減なもので、酒のことを般若湯(智慧の涌き出る湯)といったり、魚も鶏も名前を都合のいい名前に変えてガブガブ・パクパクやってたらしい。インドのバラモン教の人達も魚肉は食べないことになっているが、海藻でもない魚介類を「海の野菜」だと言って食べている~しかも彼らは、菜食主義者と自称しているというから恐れ入る。

こうした姑息な言い換えをしている連中に比べると、親鸞は釈尊以来の不淫の戒を破っておおっぴらに妻帯しているから実に潔い。

最近は目もだめ、歯もガタガタ、魔羅はまら大丈夫だけど、除々に清い精神になってきたので不邪淫はしていない・・・こういう言い換えも潔くはないか・・・。

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2007年4月24日 (火)

竹の子掘り

毎年、友人のお山で竹の子掘りをさせてもらっている。昨日お誘いがあったので、行ってみたら去年と違ってアッチにもこっちにもという感じで、あっという間に沢山の竹の子が取れた。

そこに行く楽しみのひとつに、ふくろうの巣がある。大きな木の真中にうろがあって、そこに卵を産んでいるので、先に友人が覗いてみたら・・・・いたいた!小さくて、真っ白い、目が半分開いたような開かないような2羽のふくろうの赤ちゃんが・・・

前回は、まだ卵の状態のときに見つけて、ヒナに孵る頃又見に行こうとしてて、行ったときはすでに巣立っていってたので、見ることはできなかった。なので、今回が初めてのご対面・・・デジカメ持ってないし貼りつけるワザも持ってないのでお見せできないのが残念だけど、チョー可愛かった。

昨日は、息子の誕生祝いを予定していたので、そそくさと山を後にして我が家へ帰った。土産にもらった竹の子をご近所におすそ分けして、久しぶりに会う息子と共に中華レストランへ~

梅の花というお豆腐メーカーが展開しているお店で「チャイナ梅の花」というところ・・・ふつうの中華料理店にくらべオシャレで、メニューもちょっとちがう。家族は妻も息子も、娘も孫もみんな平気で肉が好きだし、お腹一杯食べてそれなりに満腹度も満足度もあったのだけど、帰り着いてレシートを見たらフィレ肉のなんたら一人前3000円とかも含まれていて・・・旬で採ったばかりの竹の子と比較してはいけないけど、そのギャップ(価格0円の体にイイものと、高くて体には良くない肉)になんだかなーと言う気持ちになった。

主役は息子なので、それに合わせたのだが、7才になる孫も野菜より肉をってかんじなのが気になる・・・って言っても家族からの信用がからきしないので、こちらが直接言っても説得力はない・・・さりとて、さりげなくこの本イイよって置いといても読んだふうでもないし、なかなか手強い。

まあ、いつか気がつくでしょ。

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2007年4月23日 (月)

ちょっとした論争

農薬問題は難しい。

昨晩も、飲みながらその話題になって、つい言ってしまった「減農薬でもやっぱ、ダメよね、無農薬ジャないと」って、自分で農業をやっていないくせに、マジメに農業を営んでいる知り合い相手に言っちゃったもんだから、感情を害させてしまった。

その方は、一生懸命無農薬に近づけようと努力しているが、どうしてもという場合のみ使用しているという無農薬志向の方なだけに、減農薬はダメって切って捨てたもんだから、カチンときたのだろう。

農薬は必要悪というか、いたしかたない面も理解しているつもりだけど、酔うと理想論に走るクセがあるので、気心知れた相手と言うこともあって相手の苦労も考えずに・・・翌朝、起きてアチャチャまずかったなと反省。

まじめに真剣に取り組んでいる人には、言うべきことではなかった。

減農薬に甘んじている人にも、軽々しくは言えない。だけど、どうあるべきかって言ったら、やはり無農薬がいいに決まっている。なのに、そうはできない理由、事情が沢山あるわけで、それをひとつづつ潰していきつつ、一歩でも無農薬に近づける努力はしていっていただきたい。

そのための、消費者に対する啓蒙や流通に関する改善には、直接関わっていくつもりだし、生産者の方とも連携を図っていきたいと考えている。

もう少し相手の立場も考えて、誤解のないように話し合っていかないといけないなと改めて反省。

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2007年4月22日 (日)

ワクワク朝市5回目にして、ついに雨のため中止・・・朝市を終えて食育を考える会の共同農園の畑開きも予定していたがこれもパー~そして、友人のお父さんが昨日亡くなられて今日はお通夜・・・まさしく涙雨となった。

ガンだと聞いてから、そんなに経っていなかったので、ちょっと驚いている~身の回りでは、ここ最近は、ほぼ100%ガン死である。日本全国では3人に1人、もちろん死因のトップで、2人に1人は生涯で一度はガンにかかるという。

そんな身近な病気でありながら、かつ医療技術も進展したといいながら、なんと無力なんだろう。手術・放射線・抗ガン剤の三大治療法をもってしても年々増え続けている。身体的・精神的・経済的な負担は甚大であり、国も2007年4月から「ガン対策基本法」を施行、対策に取り組んでいる・・・

が、どこまで有効な対策が打てるかは未知数~素人が言うのもなんだが、ピントがずれているとしか思えない。なぜなら、基本的な発想が従来の西洋医学的アプローチ一辺倒の考えから抜けきっていないように感じるからだ。

的中率90%のジョセリーノ氏の未来予知では、2011年にはガンの治療法が発見されるとあるが、科学的根拠のないこの手の話しでは一般人からはただ胡散臭がられるだけだし、

やはり、国や医者に頼るのではなく、それぞれが日常をどう変えていくかに向き合わないと痛ましい話しをこれからも、もっと聞くことになるだろう~高齢化×欧米化→2人に1人以上がガンにかかる時代の進行。

雨のことから、話しがずれてしまった。

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2007年4月21日 (土)

ちょっとイイ話

昨日、友人と如水庵でコーヒー(お菓子をなんか買うと、コーヒーは無料)を飲んでたら、友人の友人が小学6年の息子サンを連れて入ってきた。

その友人を探しに来ていたようで、見つかって良かったといいつつ「息子が野球を始めるので、バットを買ってやりたい・・・そこで、お願いだけど500円恵んでください」隣で聞いていた自分も、つい吹き出して500円差し上げた。

「ありがとうございまーす」の言葉を残して、次へと向った。こうしてバットを買えるだけのお金を集めて、なんとか息子さんの希望を叶えてあげるのだろう。

立ち去った後、思った。なんか凄く懐かしい感じを・・・いまどき、サラっと恵んでって言える人がいたのだ。おそらくこんなカタチでバットを買ってもらう子供は殆どいないにちがいない。

子供のために、頭を下げてまわる親父もステキだけど、一緒についてまわる息子さんもステキだ。

昔は、こういう風景もあったような・・・ひさしぶりホッコリ暖かい気持ちにさせていただいた。

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2007年4月20日 (金)

手をつなご

最近、思うこと。

それは、手をつなぐこと。スクラム組むことの大切さっていうことなのかな。自分を含めていわゆる弱者は、束になってかからないとどうにもならない。

手をつなごうというときに、手をグーにしてたらつなげない。グーにしているということは、心を閉ざしている、自分というものを握り締めている状態・・・これではつながれない。手をパーにして、ついでに頭もパーにして、心も開けっぴろげにして初めてつながれるんだと思う。

この際、お互い自分のふんづまっている問題や悩みなど全部さらけだして、ひとりで堂々めぐりするのをやめて、縁ある仲間達全員でそれぞれの抱えている問題を共有して、みんなで知恵を出し合って解決していこうじゃないかと・・・

逆に、本人も気がつかないでいたお宝がほこりをかぶっていたりして~強みと弱みを足し合えば、スーパーパワーが生まれたりするかも・・・

世の中に対して、なんか変だなー?こうあったらイイなっていうことが共有できたら、チッコイことは置いといてまず、手をパーにしてつなご!孤軍奮闘をつづけて力つきて本当にパーになる前に・・・。

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2007年4月19日 (木)

手放す

長谷川章子さんも言っておられるが、変わるためには「手放す」ことだと・・・

変わりたいと口にしながら、深い所では変わることを望んでいない?変わるということは、古い自分を手放すこと。これまでの習慣をキッパリと止める~色々なものを手放してみると、案外、こころがスッキリ、気持ちは晴れやか~いったん、がらんどうにしてみて、そして新しいものを受け入れる。

・・・本当の本当は、自分は変わりたかったのだという深い自分に気がつくと、大きく流れが変わっていくことになる。勇気を持って手放し、恐れずに空洞をつくっていくと、本来はそこに何を入れていくべきかが見えてくる~本当の自分とじっくり向き合うこと。

本来の自分の凄さや、素晴らしさをふさいでいるものが(こだわりや、執着、もろもろの感情)、自分の本来の力を出させないでいる要因になっている。

~宇宙のしくみは完璧。信じて委ねれば、必ずあるべき姿に近づく。

さあ、恐れずに手放そう・・・

納得ですね。手放せないのは宇宙の仕組みを信じていないから?あるいは、言われるように本気で変わろうとしていないから?・・・というより、自分の内面にじっくりと向き合ってなかったからだろう。

本当の、本当の自分って意外に解かっていないのかも・・・。

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2007年4月17日 (火)

あと5ヶ月で

一説によると、2007年9月18日には、地球そのものが5次元入りするので、3次元的な古いシステムが、その日を境に殆ど機能しなくなるという。

もし、ホントにこんなことが起こったら一大パニックになって天と地がひっくりかえるような騒ぎになるだろう。

3次元的な古いパラダイムに囚われたままの人は、判強制的にそれらを手放すことを要求され、もし逆らえば肉体の死を含めて、色々なトラブルに巻き込まれる~そうして、振るいわけが1年ほど続く。

もちろん、次元上昇が準備OKの人は、ノープロブレムなので、むしろその日を楽しみにしているのかも知れない。

こちらは、全く準備できていないので、ちょっと慌てないといけないのだが、心のどこかで「そんなこと、ありっこない」と思っている(2012年のことは、もう少しマジメにとらえている)ので、パラダイムシフトが遅々として進まない。

もっとも、2012年といっても、もうすぐそこなので、そこに照準を当てて、もっと真剣になって身魂磨きを急がないとという気持ちは当然ある。

そこで大事なことは、エゴ退治だけど、これはなかなか厄介なので、意識をそちらに向けるのではなく、とにかく自他共に喜べることをしよう!と思い実践することに熱中したほうがよい・・・そうしているうちにエゴのことを忘れてしまっている。

体感できているわけではないので、断言はできないが、エゴ退治よりやりやすい気はする。

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2007年4月16日 (月)

辛口マクロ

むすび5月号~今月の特集は「正食と自然医学」お茶の水クリニックの森下敬一院長のインタビュー記事から、

森下院長は、とマクロビオティックの創始者である桜沢如一(1893~1966)が亡くなる直前まで親交があったという~国際自然医学会会長でもある自然医学の第一人者と言われている人・・・

巷間、マクロブームと囁かれているが、単に病気治しのワザというとらえ方でなく、その思想性、意義をちゃんと踏まえていないとダメだと、さすが大御所らしい辛口のマクロ論を展開している。

今、地球という生命体そのものが、かなり重篤な症状を示し始めているので、地球の病気も、人間の病気も同じだという立場に立って、すべてを癒していく革命運動としてマクロを位置付ける必要がある~これは地球の表面に生存を許されているすべての人が考えなければならない重大な問題だと・・・

マクロに携わる人達は、そういう確信や信念、自信を持って、もっと積極的に運動を拡大していって欲しい~それこそが、桜沢先生から教えていただいた重大な使命のひとつであると、受けとめている。

人体の生命はもちろん、その背景にある生態系や地球生命に目を向け、機械および物質文明が与えたダメージを癒していく・・・その認識が近頃、ちょっと薄れている~自分の病気が治ったからそれでいいんだという感覚にとどまっていちゃダメ・・・最低限、自分の体を健康な状態に立ち直らせることが出来たことを周りの人達に伝えていくこと・・・そもそも自分さえという発想だから病気になったじゃないか?近視眼的で、視野狭窄的な人達が多すぎる。

玄米を食べても治らない人と治る人がいる~その分かれ道は精神的なものにある。食べ物だけでなく、目に見えない精神的な分野がかなり大きい・・・自分の体の健康状態が、少し良くなってきたら<陰徳を積む>などということも必要になってくる~そういったことが病気治しの大きな条件になってくる。

ふんふん、なるほど。自分さえ良ければ→病気になる→病気になって間違いに気付く→自分以外のことにも目を向ける→自分の病気が治る・・・といったメカニズムかな。

ただ、食べ物が変われば精神作用も好転してくるのも事実だと思うし、どちらか一方だけではいけない・・・両面からイイ循環に変えていかねばってことだろう。

桜沢先生から直に薫陶を受けた方もだんだん少なくなっていくことだし、森下院長にはますます元気で多くの人に伝承していっていただきたいと思う今日この頃なのだ(きっこさん風)。

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2007年4月15日 (日)

百年の食

「百年の食」・著者は渡部忠世・・・

この本で、素晴らしい方達のことを新たに知った。松井浄蓮、河井寛次郎、それに陽明学の中江藤樹などなど、

著者の渡部忠世という方も、今回初めて知った。2020年の飢餓問題、農本主義に則った生きかた、団塊世代へ送るメッセージ、老いをどう生きるか・・・

本文中、本川達雄の「長生きが地球を滅ぼす」という近著が紹介されている。そのなかで、余生の生き方について~

ひとつのヒントは、時間の見方を変えることです。もうひとつは老人にも働く義務があると考えること。そしておまけの人生は、それまでとはまったく違った別の人生であると割り切ってしまうほうがよいということ。最後に、次世代の役に立つことをすることによって、老いの時間に意味を見つけたらどうか、というのが私の提案、ヒントとなります。

と、ある。タイトルにあるように「百年の食」を考えると言うことは、次世代のことを考えて、そして働くこと。

次世代が幸せに生きていける環境を用意して引き渡す~働くことが次世代のためになる、そういう仕事をすることで老いの時間に意味を持たせる・・・

団塊世代は、約800万人、その1割でも農村に還り、農業に加わることで農業が抱えている諸問題に解決の燭光が、見え始めるのではないか・・・

うん、これは大いなるヒントだと思う。ゲートボールかなんかして遊んでいるヒマはないよ!

全編を通じて、著者はこの国のありようについて、食・農という切り口から警句を述べている。このまま行くとこの民族は滅んでしまうののではないかと・・・食べる、働く、命をつなぐということを百年のスパンで考える人がひとりでも多く輩出されることを願って・・・。

まかせて下さい・・・と、胸を張って言えるようになりたい。

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2007年4月13日 (金)

実を言うと

意志薄弱で、寂しがり屋で、小心者で、大酒飲みで、失敗ばかりのできそこない人間なんだけど、実を言うと、自分のこと好きです。

もがき苦しみ、泣き笑いしている自分のこと、けっこうイイ奴だなんて思ったりするんですよね。酔っ払って暴言・暴行を働いた時なんかは、落ちこんだり、反省したりするけれど、根本的なところまで嫌いになったりすることはない。

なので、同じ過ちを繰り返すのかもしれないが・・・なんで、こんなこと言うかというと、この頃「循環」という言葉が気になっていて、循環~つながり~和って考えていくと、

つながるためには、まず自らのことを振り返って見て、自分を愛していないと他人も愛せないよなーとか、思ったりして・・・

以前、スピコンに行った時、未来カードというセッションを受けて、色々過去のこと話していたら、「そんな、こんなも含めてまるごと自分を許してやって」と言われ、ジュワーンと来たことがあった。

イイ加減な自分、できそこないの自分を許せたら、他人のそういう部分も許せるし、愛しもできる。人とつながるっていうのは、そこらへんからなんかなーと・・・

孤独に、孤軍奮闘もいいけど、お互い足らないところは補い合って、一体化して、やりたいことをやるっていうのもみんなで喜べていいんじゃない・・・。

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2007年4月12日 (木)

素食

粗食ではなく、素食がいいなと・・・

元気の素、健康の素・・・味の素はいただけないけど、粗食というと、なんかストイックな感じがして、今風の人達はちょっと・・・てなりそうなので、素食がいいかなと思った。

というのも、近い将来、かなりの確率で食糧危機が起こるのではないかと思っている。イザという時の為に、土を肥やしておかないといけないのだが、そんな準備はしていない。

そこで、強力な作物が台頭してくる~それは、雑穀。雑穀と言えば、鳥のエサやろとか、貧乏時代に食ったものやろなどと抜かす輩もいるので、大谷ゆみこさんなんかは、雑穀グルメ~つぶつぶクッキングと称して、いまどきのグルメにも受け入れられるようコンセプトを決めている。

が、しかし大谷さんのは高いのだ。食糧危機だけでなく、格差拡大もあるので殆どの人達は口にいれることはできない。

食糧危機が来るとか、粗食がいいとか言っても聞く耳持たないのが今の人なので、なんとなく、ナチュラルな感じがして、貧しい感じもしなくて、お金がない人でも食べられる食事法を開発しておけば、なにげに危機がやってきた時の対策にもなる。

謎解きは、ここからだ。手間のかかる雑穀をいかに低コストでつくるか?雑穀料理をいかに低価格で提供するか?

答えはなんにも持ってないけど、自給率のUP、健康の増進、危機管理などの面から考えて、どう考えても雑穀ははずせないと思うのだが、いかが?

例によって、中途半端でごめん。素食って言葉が浮かんだので忘れないうちに書いとこうと思ったので・・・。

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2007年4月11日 (水)

ピカピカの一年生

今日は、孫の入学式。ついこの間まで、幼稚園児だったのが、ランドセルを背負ってる姿を見ると、それなりに小学生に見える。

頭にリボンをつけて、新調した洋服に靴~上から下まで、まさにピカピカだ。弾けるような笑顔で「行って来まーす」・・・

単純に喜べばいいのに、余計なことが頭をよぎった。この子が、これから迎える未来は?

天変地異、食糧危機、格差の拡大、国家財政の危機~普通に考えると、希望に満ちた明るい未来は想像しにくい。しばらくは、グローバリズムという流れが行きつくところまで、行くのだろう。ごく一部の究極のエゴイスト達が、限りある資源を収奪し、環境破壊、疫病を蔓延させ、死の商人が戦争で大儲けをする。その他大勢は、すべて被害者となる。

最終的には、彼等も天の裁きを受けて、この地球上には住めない存在になるのだろうが、そこまで行くプロセスで子供達も我々大人も、あまねく想像を絶する試練を体験しなければいけないのだろうか。

ネガティブな発想を、多くの人が持ってしまうと、それが現実化するので、極力ポジティブな発想に切り替えようと思って、自らやれることをやって行こうと・・・

なんでも来い!と腹を括ってしまえば、なんてことはない。孫にしたって自分にしても、身の上に降りかかることはすべて、必要、必然なんだからと割り切って・・・

とはいっても、連中にやりたか放題させてなるものか~あのハチドリ君が教えてくれたとおり、やれることをやるだけさ。

てんつくまん&中村隆一さんもデッカイことを、やってくれそうだ。4900万部の号外を日本中にばら撒くそうだ。

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2007年4月10日 (火)

消費者が変われば

赤峰さんの話の続き・・・「消費者が変われば農家が変わる」

スーパーなどで野菜を買う時、何を見て買うか?・・・見かけと価格というのが大半~その価値基準は、流通業界によって作られていることに気がついているだろうか?

市場で競りによって価格が決められるが、その価格を決める絶対条件は・・・形!~長い間、こうした流通機構の中をくぐり抜けているうちに、カルシウムやビタミンの補給源で、健康のもとをつくるために必要だったはずの野菜が、健康とは無関係のお金儲けのための道具に変わってしまった。

昭和57年に、無農薬野菜づくりを完成させ、市場で仲買の人たちに、無農薬・無化学肥料・安全を説いたが、誰一人関心を示さなかった。

流通業界によって、作り出された価値基準ではなく、本物の野菜の価値基準とは、

1、旬の野菜であること                              1、完全無農薬・無化学肥料でできたもの                     1、見かけも良くて味があり、それぞれの野菜が持っているニオイがすること。                                       1、微妙な甘さがあること                              1、形はその野菜が持っている自然な形であること                        1、大きい形、小さい形、いろいろな形が混じっていること

以上。

消費者が本物を知り、求め続けてくれたら農家は変わる。

この本は平成5年に出版されているので、あれから14年経過して、少しは消費者の意識は変わったのかも知れないが、古賀市の農家の殆どが慣行農法で作っている現状を見れば、さほど変わっていないのじゃないかと思う。

問題は、その先だ・・・どうすれば、消費者が変わるのか?昨今は、食育ブームといっていいくらい話題には事欠かない状況で、知識は多分に入っているはずだが、行動はどうなのか?無知だからそうしない・・・のではなく、知った後も変わらない場合が多いのだ。

そこには、変わりにくい背景もあるはずで、その障害になっているものを、ひとつずつ、ひもとき、クリアしていかねばならない。それでも変わらない人は仕方がない、本人の自由意思なので・・・。

いずれにしても、意識のある生産者、流通、消費者が手をつなぐことが先決で、理屈より行動~明るく、楽しく、元気で、健康そのものといった姿そのものを表現できれば、集まってくる人もいるデショ。

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2007年4月 9日 (月)

赤峰勝人

「ニンジンから宇宙へ」著者は赤峰勝人氏・・・これから畑をやろうという時に、タイミング良く食育のメンバーが貸してくれた。

お名前は知っていたが、本を読むのは初めて・・・一気に読んでしまった。いちいち納得~凄い方だ。

1943年大分・野津町生まれ。民話の吉四六さんで有名な所~小学6年生のとき、父親が耕運機に腕を挟まれ切断~以来百姓で生きていくことを決意し農業高校卒業後、トマト作りを手がける~慣行農法で一時は高収入を得るが、ある時期から失敗続き・・・原因は農薬と化学肥料であることに気付く。

昭和43年頃、台風でハウスが全壊、同じ年に一年と4ヶ月の長男が水桶に転落し水死~このときから「人は何の為に生まれて来るのか」生と死の問題に苛まれるようになる。

酒に溺れ、荒んだ毎日~借金は増え、家庭もガタガタ・・・それでも唯一帰る所があった~それが畑だった。

その後、無農薬・無化学肥料での野菜づくりで一儲けをもくろみ、友人夫婦を誘って共同経営を始めたが三年で破綻~さらに莫大な借金を抱え込むことになる。

また、無農薬に取り組むうえでも試行錯誤は続き、疑問がふくらむなか、有吉佐和子の「複合汚染」という本に出会い、この本のなかで「土でできたものは土に返せ」という言葉にふれたことで、やっと、無農薬野菜づくりに、実感として納得することができる。

が、しかし、トンでもないことが起きる。昭和55年、酒に酔っ払っての事故で臨死体験をすることになる。

度重なるアクシデント・・・何か事が起こる度に感じることがあった~それは、出来事はすべて偶然ではなく、何か意味があって起こっている~そこから何かを学べと・・・

答えを問うように、自分を深く探っていくと、内なる自分の声が聞こえてくる・・・内の奥深くの自分が、ずーっと上の違う世界とつながっているような思い。

そうして、昭和57年6月・・・無農薬・無化学肥料の理想的なニンジンが完成を見る。土にまみれたニンジンを通して宇宙の仕組みがすべて感じ取れた~すべては回っている。

大地に蒔いた種は芽を出し、土と水と光に育てられ葉をつけ実になる。緑は酸素をつくり、茎や根や果実や葉は、人間を含む動物の食べ物となり、人や動物の食べたものはやがて堆肥となり、発酵させ、微生物に食べさせて、再び土に返ってくる。植物の体内を通過した水は葉から蒸散作用により空中に出て冷やされて雨となり、その雨は作物の命を育てる。人間も植物も虫も水も光も、宇宙のすべてがつながり、すべてが循環している。

~長い間、心の隅で抱えていた多くのことが解けて、12年間の深い苦しみはふっきれるように消えた。

~自然の理にかなった、宇宙の法則を壊さない農業を伝える・・・それが先に知った自分の役割。

「この宇宙の中で、循環していないものは全て間違っている」

赤峰さんの、辿り着いた結論。びくともゆるがない確信・・・多くの代償を払いながら掴み取ったものの何分の一かでも、これからの農業実践のなかで受けとめられたらと・・・

以前から、知り合いが赤峰さんに会いに行きたいと言ってたので、この本を読んで是非自分も一緒に行きたい・・・という気持ちが強く湧いてきた。

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2007年4月 8日 (日)

まがりなりにも

4回目の朝市・・・直前になって出展できないかたが三人も~アチャーという状況だったが、終わって見ればまあまあ楽しめたっていうカンジ。

案の定、チラシを見て来てくれたかたから、卵はないの、野菜はって言われはしたが、100円で出した「みかんカレー」も好評だったし、新たに参加したいかたが現われて、これが一番嬉しかった。

その方は、本格的な家庭菜園をやっていて、毎年余剰分の処置に困っていたとのこと・・・こちらの主旨にドンピシャ合うので是非一緒にって応じさせてもらった。

4月22日からは、「食育を考える会」の農園も始まるし、うまく出来た場合は、朝市で売れるので、それまでにもっと販売力をつけておかねば・・・。

折しも、古賀は市制10周年で、こちらは「缶詰バー」の主が、地域活性化のプロジェクトリーダーなので、こちらとも連携を図りながら両方が盛り上がるように、今まで以上「缶詰バー」に通わないと・・・(ただ、飲みにいくだけでしょって声もあるが)

興奮が冷めぬうちに、エネルギーが持続するうちに、離陸できるよう自らエキサイトできる光を見出しながら、楽しんで行こう。

段ボールコンポスト~共同農園~わくわく朝市を第三の通貨で結ぶ、オルタナティブな流通形式を開発しようという声もあるし・・・あったらいいな、できたらイイナが沢山あるほうが燃えるよね。

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2007年4月 7日 (土)

貧乏起業家

名も無く、貧しく、美しく・・・無い無いづくしの貧乏起業家がなにか売ろうとしても売れるはずが無い。

新しいものを生み出しても、まだ世の中に認知されていないモノを、無名の会社なり個人が、宣伝費もかけずにどうやって売るか?

普通に考えると、こりゃ、だめだ、やめとこ・・・となる。不安材料は山ほどある~こういう気持ちが、これっぽっちでもあったら案の定失敗に終わる。これが普通のパターン・・・

このとき、よけいなことを考えずに100%デキル!と確信できたらいきなり天才になる。99.9%でもダメ。

この話は、発明起業塾で何回も聞かされている。が、しかし100%OKの心境になれた試しがない・・・なので未だに成功できていない。どころか、行動を起こす手前で逡巡したりする・・・あっちウロウロ、こっちウロウロ~自分は起業家に向いていないのか?とまで考えるときがある。

よーく考えなくても、まっしぐらに行動していないのに、成功なんてありえない。

一流と三流の話もされた。一流は仮説を立てたら、まっしぐら・・・他人の話なんか聞きはしない~そうするとある現象に早く出会う。ここでその現象に対して謙虚になる。そして新しい仮説を立てなおし、そこからまたまっしぐら~次の現象にぶつかる~また謙虚に現象を観る~また、まっしぐら・・・そうして正解に辿り着く。

一方、三流は仮説を立てるところまでは一緒だが、行動の段階で他人の話を聞いたりしているうちに迷いがでたりしてあっちはウロウロこっちへウロウロ~そして現象にぶつかり、また新たに仮説を立てるのだが、また行動の段階で迷走を繰り返す~何度かの迷走の後、正解に辿り着くのではあるが、ここまで来るのに一流の行動パターンと比べて時間がかかりすぎてしまう。

・・・ウーーン、耳が痛い。まさに三流のパターンを踏んどるやないか!そうこうしているうちに最初ヒラメイたときの、興奮も冷めて行き、持続するエネルギーも尽き果てて正解に辿り着く前に挫折というカッコ悪い結果を招いてしまう。

でも、今度は違う!・・・といいつつ、まだよけいなことが頭の中に残っている。ここが一番難しい・・・理屈は解かった。ばってん100%できる!とまで思えてない。

えーい!よかよか、時間はかかってもいい、少々傷ついてもいい・・・と、覚悟を決めてやるっきゃない。やることにエネルギー集中だ・・・やって見ないと解からない!

昨日、久しぶりに塾長に会ったので落ちこんだり、興奮したり・・・いきなり一流にはなれん。三流からスタートでOKなんてね。すでに頭のなかでウロウロしているやん。イカンイカン・・・

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2007年4月 6日 (金)

大豆

再び、大豆の話。

大豆は頭脳活性化食品。頭の切れが鈍った、物忘れが・・・というかたは、積極的に試して見るのもイイと思う。脳細胞の働きを活性化するにはアセチルコリンという脳細胞間の連絡を蜜にする神経伝達物質が必須だ。

大豆に豊富に含まれているレシチンは、肝臓でコリンを生じ、大脳に送られてアセチルコリンが組みたてられるというメカニズムとなっている。

レシチンは大豆100g中に1480mgも含まれている。このレシチンを多く取るとアセチルコリンの量も増え、脳細胞も一層活性化するという理屈だが・・・

食べ方はいろいろ~そのまま煎って食べても香ばしくてOK。粉にすれば黄粉、発酵すれば納豆、ニガリを加えて豆腐、できる過程で豆乳、おから・・・そして定番の味噌。

頭脳活性化以外にも、肥満防止・便秘解消・動脈硬化予防・コレスレロール値低下・肝機能正常化・美容と健康の増進などなど、

とくに納豆の場合は、エネルギー代謝を盛んにするビタミンB2が5倍にも増えているので頭脳はもちろん、スタミナ強化、強精にもバッチリ。

原産地は中国らしいが、日本には縄文時代にはすでに食べられていたとのこと。

畑の肉とか豆の王とか呼ばれているだけのことはある・・・酒の飲み過ぎで肝臓も気になるし、頭もちょっとおかしくなって(これは元々か)いるので、大豆はやはりなんとかしたい・・・したい、したい。

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2007年4月 5日 (木)

アマチュア耕作隊

昨日の会合で、畑2反は荷が重いので半分の1反を借りようということになった。

この際、雑穀もやってみたいと思うので、耕作隊・隊員を募集します。古賀近辺の方で、野菜や雑穀をつくってみたいという方がおられたら、一報ください。隊員が集まらない場合は雑穀はひとまずあきらめて、食育のメンバーのみでカンタンにつくれる野菜だけから始めることにする。

なぜ、雑穀か・・・以前も書いたことがあるが、食物繊維、ミネラルなどブレンドして食べれば玄米以上のパワーがあるし、無農薬で、耕作放棄された土地など全国どこでも作れるし、みんなが作り出せば自給率UPにも貢献できる~まさに雑穀は日本を救う食べ物だ。

しかし、雑穀は手間がかかり効率が悪いのでプロの農家はやりたがらない。なので、アマチュアがやるしかない。ちゃんとしたものが作れれば付加価値も高いし、需要もあるのでチャレンジしてみる価値はあると思う。

ひとり食育のメンバーで雑穀づくりの経験者がいるので、そのかたに指導はしてもらえるので、頭数さえ揃えばなんとかなる週に一度か、2週に一度程度でもやれそうだという方、この指とまれ。

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2007年4月 4日 (水)

大豆

大豆の自給率は5%しかない。ということは、大豆からできる豆腐、味噌、醤油も殆ど国産のものは口に出来ないということになる。

お隣の宗像市は、大豆生産量が日本一だそうだ。日本の食文化にはずせない大豆の生産は、重要度からいってポイントが高いって思っていたら、食育のメンバーが、昨日の読売新聞の切抜きを持ってきてくれた・・・

「広がる大豆オーナー」と題して、各地の取り組みを紹介している。ひとつは、千葉や東京で展開している、NPO法人「トージバ」の取り組みで、一口(6坪)5,000円~「はじめる自給プロジェクト 大豆レボリューション」オーナーは、種まき・草取り・収獲→味噌づくりに参加する。

もうひとつは、長野県飯田市で、JAと農業振興センターが企画して、今年初めて大豆オーナーを募集する。こちらは、一区画(10坪)7000円で、収獲した大豆でつくった味噌が10kgもらえる。

他にも、料理研究家の辰巳芳子さんが提唱する「大豆100粒運動」・・・2004年に長野県の小学校32校でスタートして、子供達が大豆の栽培~観察~収獲を経験した。それを受けて翌年NPO法人「大豆100粒運動を支える会」が発足、2006年には、長野、神奈川など130団体、約10000人が参加したとのこと。

各地でこのような取り組みが始まり、かつ広がりを見せている・・・素晴らしい、我々も参考にして取り組みたいものだ。お隣に日本一の産地もあることだし・・・。

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2007年4月 3日 (火)

祝・5周年

知り合いの自然食品店が5周年を迎え、支えてくれたみんなに感謝の気持ちを伝えたいということでパーティを開いた。

この店のこのところの業績の伸びは目覚しく、ほとんど自己資金のないところから始めて途中紆余曲折があり、崖っぷちから這い上がっての5周年なので、喜びもひとしおだろう。一年前の状況を知っているだけによくぞ、パーティがひらけるところまで持ってきたなと素直に賞賛をおくりたい。

追い風が吹いているとは言え、その風に上手く乗れるかどうかは日常の努力の積み重ね次第だ。ロスが出やすく、手間もかかる野菜で差別化を図ったことが成功の要因となった。今では、マクロビオティック系の飲食店からの注文は、この店に一極集中しているといっても過言ではない。

パーティに来ている生産者の顔ぶれをみてもそれが解かる。有機無農薬の生産者にもランクがあるとすれば、それぞれが一流と言われる方々ばかりなのだ。

ただ、この店の増収の要因は殆どが、地域外の需要に支えられての伸びであり、自然食なりマクロビオティックの需要層が地域内でも着実にふえたことによるものではないということだ。そういう意味ではまだ、底が浅いと言わざるを得ない。

九州全域から一流と言われる野菜を集め、一大消費地である福岡市の中心部に位置するレストランで消費される。その需要を掬い取らないと店の経営もままならない。マクロビオティックとは、まだまだその程度のものなのか・・・というか、マクロビオティックという言葉自体がなんだか特別な印象があり、本来の日本の伝統食なり素朴に自然に食べていたものとは違うものになっている。

それは、ひとつのブームでしかない。ブームは風向きひとつで終わりがくる・・・そんなものを追っかけるのではなく、普通の人が、普通に食べられるような仕組みをつくりだすことだ。それには、商売の感覚だけでなく、理念が必要のようだ。

とりあえず、5周年をうまく乗り切ってさらに発展できる基盤ができつつあるようなので、社会貢献的な要素も新たに視野にいれるようこの店には期待していきたい。

まずは、5周年おめでとう。

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2007年4月 2日 (月)

農地を見学

2反程の畑を貸してくれるというので、「食育を考える会」のメンバーとともに、見に行った。

元ミカン畑で、竹林をバックに平坦で水はけも良く、土の質も悪くなく申し分のないお話だなーと思いつつ、実際に2反の広さを見て、イイ加減な気持ちで受けたらかえって信用を失うことになりかねないので、会に持ち帰って本当に受けられるだけの体制が取れるかどうか話し合ってから結論を出そうということにした。

なるべく、手間がかからず作りやすいもの・・・カボチャなんかは良さそう、できたらこの機会にぜひ雑穀をやりたいとも思うし、ハーブなんかも・・・といってもこちらは素人なので、経験者の意見を尊重しないといけない。ともあれ、なんとか実現の方向で話を進めたいものだ。多少、見栄えが悪くとも、出来た物は「わくわく朝市」で売れるし、段ボールコンポストの輪をひろげ、自ら循環のモデルを推進することが出来る~生ゴミの堆肥化→畑で野菜や雑穀づくり→朝市で産直・・・徹底的に有機無農薬にこだわった地元産のものをより安く販売できれば理想的だ。

と、夢は広がるものの、実際に汗を流せる人がどのくらい集まるか?ある程度の意識ある人の頭数がないと無理・・・中途半端に終わりそうならやらないほうがいい。

要は腹のくくりかた・・・自分自身の。

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